お日さんにポカポカ当たりながら、目をつぶってポーッとする。
まぶたの面から漏れてくるお日様の光を頼りに、光のシャワーを浴びているイメージをする。
そして胸の奥からも光がもれあふれてくるイメージもする。
ぜんぶが光でいっぱいになって心は嬉しくなり、にま~っと笑う。
はあ~ええ気持ちやなあ~。。。
高知のかーちゃんを思い出す。
かーちゃんの顔が笑ってる。笑っている顔が輝きだし、光に包まれていく。
「かーちゃん、今日もいい日だね」
ああ、そうだ。とーちゃんも。
とーちゃんの顔が笑っている。笑っている顔が輝きだし、光に包まれていく。
「とーちゃん、あなたを祝福します」
物理的には分かれてしまった二人だし、そのうちの一人はこの世にはいないけれど、今三人こうして一緒にいることが嬉しい。体って必ず離れて見えるけれど、心は一つ。三人は、同じ心。だからいつも一緒。
こっちが本当。物理的に離れて見えるのは、まあ、そんな風に見せているこの世界の法則なのさ。
私の中で罪をあおってくるヤツがいた。
「そんなことしたら痛い目に合うぞ~。あ~それも罪深い。目も当てられねえ。。。お前はサイテーだ。生きている価値なし!」
と頭の中で言い続けていたヤツ。そんなヤツに振り回されてきた。
しかしそんなヤツは存在しないというではないか。
「マジか!」
「はい。マジです。」
ならその言葉を信じてみよう。
そういって、いないと宣言してくれる聖霊とともに、そのそいつが言いふらす罪とやらを見てみる。
これがなかなか手強い。
長年連れ添ってきた自分の分身のようなヤツ。そいつがいないだなんて罪がないだなんて、、、と、反旗を翻すこと山のごとし!罪は私をとてつもなく魅了していた。
げ~~。どんだけ罪が好きやねん、私!
まず、罪は、自分と人を分けてくれる。
どっちかが正しくって、どっちかが間違っていると言い張れる。
それは自分ってものが確実にいる!と、存在実感を与えてくれるから。
ついで敵と味方に分けてくれる。
自分が正しいのだ!と、言わせてくれるから。
あるいは、自分は間違っているのだ、、、と、しょぼくれることもできるから。
いじいじもできるし、わんわん泣くこともできるし、
このやろうー!って、怒り散らすこともできるし、
影でこそこそ悪口も言えるし、
お前が悪いんじゃ!って、仁王立ちして威張り散らすこともできる。
しかももっと魅力なのは、「私が一番よ」と一人勝ちまで味わわせてくれる。
ああ~なんて魅力的なの~~。
こんな魅力的な罪をおいそれと手放すわけにはいかん!!!!
とまあ、すったもんだをやる。
しかしだんだん、それっていい気分になれるのはいっときだけで、後はひたすら苦しいばかりじゃね?
と気がつき始める。
でもさあ~。罪がないってことは、自分が特別でいられなくなる。
持っておきたいものが全部消えてしまうんじゃないかって思ってた。
それはまるで、全部人に与えてしまって一文無しになること。頭の中でいろんなイメージがわく。
清貧のススメ。。。
うげ。ああもなりたくないし、こうもなりたくないよお〜。。。ブツブツ。。。
「全部与えられますよ」
「マジか!」
「はい。マジです」
聖霊といっしょに見ていくうちに、欲しいと思っていたものは、モノじゃないとわかってくる。
私が欲していたものは、お金や才能や権力や美しさや美味しいものじゃなかった。それは神の愛の代用品でしかなかった。罪が与えてくる架空の商品に過ぎなかった。
私が欲しいと思っていたものは、幸せだった。
幸せを得るために、何かをやって何かを手に入れなければならないと信じてきた。
そして私は罪が作り出す架空のものに魅了されてきたのだ。
あるいはそれは「神の愛」と書かれた看板がついたお化け屋敷だったのかも。
光の中でとーちゃんとかーちゃんと私が一緒くたになっている。
ああ、そうだ。友達も呼ぼう。
思い出す友達みんなを招き入れて、ますます輝いた。
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