忘れっぽくなっていた人が、いい香りのハーブをかいでいるうちに、忘れっぽさが消えていたとゆー話をどっかのブログで読んだ。
やまんばはそれを読んではっとする。
感覚だ。
絵描きに長生きが多いのは、そのどん欲さゆえに(笑)、感覚をフルに生かしているからではないか。におい、味、聴覚、視覚、触覚。この五感は鋭敏になればなるほど、感覚が研ぎすまされていく。
と、同時に思考が止まる。
山道を歩いている人々の中にも、山の景色をながめるというよりは、頭の中が思考でいっぱいのように見える人々もいる。近所を歩いているウツっぽい人たちも、頭の中がいっぱいなように見える。
現代人は、五感の中でもそのほとんどが、おもに視覚に重点が置かれて、その目に見える世界に対して判断をし、怒ったり、心配したりしている。感覚よりも、もっぱら思考の方に意識の重点が置かれている気がする。
私たちは、思考でこの世の問題を解決できると思っている。
思考はだます。
頭の中でああいえば、その真反対を誰かが言いはじめる。その真反対の言葉に、またその真反対の意見が言い返す。それをずっとくりかえしている。しかしそこから導き出される答えに創造性はない。
思考が止まった時、その向こうにあるものが現れてくる。自我のおしゃべりを聞き流している時、その向こうに「何かある」ことに気がつきはじめる。
そのきっかけを作ってくれているのが、この物質界にいるあいだに味わえる五感なんじゃないだろうか。皮肉なものだ。物質世界をじかに五感で味わえば味わうほど、その世界の向こう側があらわれてくる。
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