陶芸教室の展覧会のハガキやチラシなど作っててぼんやりと思ってたことは、
「私、仕事できる人って思われたいんだなあ~」ってことだった。
町会の会計やってても仕事できる人に思われたいんだなあ~と。
そしたらある時大事な役員会議があり、
「築紫さん、書記やってください」と言われた。
私、自慢じゃないが、漢字書けないし、読めない人。
こうやってブログで漢字知ってるかのように書いているが、
その実、パソコンさんに変換してもらっているだけだ。
正直に言う。
「え~、無理です!私漢字書けないもん。ひらがなばっかりになりますよ!」
すると、いいです。ひらがなばっかりでと。
当日、ひらがなばっかりでメモる(苦笑)。
翌日パソコンで書き起こす。
誰が何を言ったのかその言葉そのものを書いたので、
臨場感が出て小説みたいになって、自分で面白くなっていた。
会長から「すごい!」と一言。
仕事ができる人みたいになってしまった。
役員会で、自分が役に立ちたいと言う思いから、空回りしている人を見る。
「私、仕事ができないから、小姑の役割をします」と言ったように、
あまり重要でもないことを重箱の隅を突っつくように言う。
イライラした。
「仕事ができる人」になりたいと言うのは、
この世界をうまく生きていけるようになりたいと言うことで、
この世界で必要とされたいと思っていると言うことで、
つまりは私はこの世界でいけてない!と思っているわけだ。
私は仕事できない!
人迷惑になる!
だからなんとかして人の役に立ちたい!と思っている。
これ、私そのものだ。
先日銀行の残高を見て恐怖におののく。やばい!
その苦しさで一晩中うなされる。
これを違う見方で見せてくださいと願った。
次の日の朝。
お金がないって、仕事できない人の代名詞みたいなもんだよなあ~。
私、やっぱり仕事できないじゃん。
すると、一筋のそよ風が吹いた。
あ、そうか。
私、この世界で生きるのヘタなんじゃん!
この世界をうまく渡り歩く事なんてできなかったんじゃん!
なんだなんだ。
早く言ってよ~。
嬉しくなってしまった。
それまでは、なんとかして人の役に立たねば、
人の迷惑にならないように生きねば、
ちゃんとしなきゃ、
仕事できて人のためになって、
そしてこの世界にいていいんだと思えるために頑張る。
という考えの中にいた。
人に向かっていた。
人ありきで考えていた。
人が認めてくれるからいていいんだと。
この心には欠乏があった。
自分はそのままでは欠乏しているから、
ちゃんとして、仕事できて、そしてその欠乏を埋める。
欠乏という罪悪感。
でもそよ風と一緒にやってきたのは、
この世で生きるのヘタじゃんという、
ただそのままの事実を受け取った。
そこに罪悪感はなかった。
逆に嬉しくなった。
無理だったじゃ~んって。
思えば小さい時から、この人間社会が苦しかったが、
ここで生きなければ私は弾かれる!と必死でニンゲンになろうとして来た。
この小さなニンゲンという小さな檻の中に自分を入れ込んで、その中でうまく生きようとして来た。
幼い頃見たアニメ、「妖怪人間ベム」
彼らの口癖は「早くニンゲンになりた~い」だった。
親に怒られてばっかりだった私も彼らと同じ妖怪で、
早くニンゲンになりた~いとマジで思い続けて来た。
だが、そもそもニンゲンになんかならなくてよかったんじゃないか?
彼らは必死で人間を助けていたように思う(よく覚えてないが、そんな印象)。
自我と共に生きるとは、
自分をニンゲンだと信じてこの世界の夢の主人公として生きる。
聖霊と共に生きるとは、
ニンゲンではないことを思い出し、神の子として生きる。
まさに私はベム、ベラ、ベロだ。
ニンゲンになりたくて必死に生きて来た。
欠けている存在として自分を自覚し、
ニンゲンにさえなれれば(仕事できる人になれれば)、
全て解決できると思って来た。
だがベム、ベラ、ベロよ。
ニンゲンになんかならなくていいんだ。
君はそのまんまで神の子だ。



0 件のコメント:
コメントを投稿