聖霊のガイダンスについて書いてみたい。
恐れで迷ってしまい、
聖霊にあなたの見方を教えて下さいとたのむ。
その時降りてくるものが、
自我か聖霊かどっちかわからないということはない。
それはまったく違うところからくるアイディアだからだ。
おそらく自我か聖霊かわからないというのは、
同じ次元での選択やアイディアなんじゃないだろうか。
水平線上での、AかBか。はたまたCか。
およそ自分が思いつくところからの答えを求めているのかもしれない。
「聖霊さんはBって言ってる気がするけど、、、だけど本当だろうか。
ひょっとしたらこれが自我。。。?」
だからまだ迷う。
それは、そのどちらかが正しいのだと私は知っているという前提だからだ。
しかしこの形態の世界(水平線上)の中に、
聖霊の答えは見つからない。
自分が予想できるところの、
どれかに当てはまるものの中のどれかが聖霊の視点ではないのだ。
まったく違うところからくる。
そのインスピレーションが来た時、ハッとする。
「こっ。。。これは。。。。!」と。
その時心が開く。
それまで重い鎖にがんじがらめにされていた感覚が、一気になくなる。
そうか。。。!その見方があったんだ。。。!と。
その時視界が広がる。
考えもしなかったところから見ることになる。
これが聖霊の見方だ。
どっちかわからない次元ではない。
水平線上にはない、垂直の見方。
それが降りてくる時、「アッと驚く為五郎~」なのだ。
だから私はどっちかわからなくなっても聖霊に聞かない。
そこに答えはないと知っているからだ。
きっと聞いても、どちらでもいいというだろう。
そこに真実はないからねと。
そうは言いながらも、私はしょっちゅう聖霊に聞く(笑)。
あなたの見方で見たい!
あなたの視点でこのすべてを見せてほしい!と懇願する。
今は前ほど言葉のインスピレーションは来なくなった。
しかし別の見方がジワリジワリとやってくる。
それに比例して心は解放されていく。
0 件のコメント:
コメントを投稿