2022年2月8日火曜日

恋をする


 

恋をしている友達を近くで見ているのは楽しい。


どんどんパワフルになっていく彼女。

こうであらねばならないルールが消えていく。


お一人様の陣地に、相手の陣地も加わって融合し、

1+1が、2じゃなくて、3にも5にもなっていく。


互いが互いの美しさを見ている。互いの神聖さを見ている。

いわば、男とか女という「人間」を通り越して

後ろに広がっている巨大な神の子を見つめ合っている感じ。


「うわ~~~。君の神の子、すげえ~~!」

「きゃ~~~っ。あなたの神の子もめっちゃかっこい~~~~!」


実はどっちも同じなんですけどね。たったひとつの神の子だから。


相手を褒めているのは、自分を褒めている。


お互いの神の子を見て、自分の本当の姿を確認している。



無限大に広がるものを確かに感じとって、

お互いが、

「ほんとうは自分は無限だった!」

と思い出している瞬間なのだ。


コースで書かれていることが、目の前で見られる。

それは私たちが、本当は体ではなく、心だと思い出させてくれる。




かつての私もそんな感じだった。

パワフルで何も怖いものはない。全ての可能性がここにあった。

その相手がうちの旦那だっただなんて、思い出したくもない(笑)。


やがて人は心から体に戻っていき、形を求め始める。

愛の形。それぞれの愛の形を。


そこでその形の違いに気がつき、とろける愛から、戦闘態勢の愛へと変貌していくのだ。

ドラマの始まりだ。


あれから30年。(遠くを見つめる)

形に求めてきた愛に答えなどなかった。


私たちが形の中に愛を求めているのは、

そこに神を探そうとしていたから。


私たちの欠乏感は、相手によって埋められるものでも、形によって埋められるものでもなかった。

代替えなど、どんなに駆使しても偽物でしかない。

ホンモノでしか満たされないのだ。



だから恋する彼女を見て、私も思い出そうとしている。


形を通り越して、ホンモノを見る事は、

30年後の今の旦那の姿を肉眼を使って見るのではない。


本当はとっくに見えている神聖さを見る事だ。

それは私自身の神聖さを思い出すことでもあった。


無限の力を備えた本来の私を。私たちを。





絵:ラブロマンス表紙イラスト



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