コースは引き寄せの法則じゃない。
確かに思考のことについて語っている。
私たちは、見たいものを見ていると。
引き寄せの法則は、もともと奇跡のコースの考え方が元になっているとも言われている。
思考がいかにこの世界に影響を与えているかという部分だけを抽出して、
世界を変えて自分の生きやすい形を作るという方向に持っていったものだろう。
でもコースはそれとは関係ない。
思考と世界は関係があるとはいっても、
思考が現実化するとは言わない。
あえていうなら、思考が幻想を知覚する、である。
だから幻想をうまく生きようという考え自体がおかしなことになる。
昔ニューエイジを散々勉強してきたくせもあって、
赦しをやれば、今おかれた状況が変わると、どこかで期待する私がいた。
聖霊さんに渡しまくったら、嫌いな人がいなくなるとか、いい仕事が舞い込んでいくるとか。
全然違っていた。
コースは心の話しかしていない。
物理的に何かをするとか、変えるという話はしていない。
行動する話ではなく、心が変わる、別の見方をするようになる学びだ。
コースのゴールは、物理的な幸せではなく、
心が平安になること。
じっさい今の私の状況は前と何も変わっていない。
なのに心がどんどん平安になっていく。
意味もなく突然楽しくなる。
何を食べてとか、良いことが舞い込んでとか何もないのに。
そういう体験を通して、形象が幸せをもたらしてくれるのではなかったことに気づく。
もともと私たちは何もなくてもとても幸せな存在なのだ。
だから嫌いな人がいなくなったら、いい仕事が舞い込んできたら、
私は幸せになれるなど、はかない幸せ。
その心持ちの中にいるうちは、やがてまた嫌いな人が現れて、
また次のいい仕事を求めるというくり返しにしかならない。
形など結果に過ぎない。
目の前に現れている形は、心がそれを求めたから見ている結果。
その結果をいじっても、原因である心に戻らないと、その結果は同じことを繰り返し見る。
その心持ち、つまりその心に何を持っているのか、
その心が何を信じて、何をおもいこんで、日頃何を考えているのか?という原因に戻る。
だってその心が原因で、見たいものを見ているのだから。
欲しいものを引き寄せるために見るのではなく、
それを引き寄せなければいけないほどに、自分には欠乏感があることに気づく。
それは何の欠乏感なのか。
その中身を見て訂正し、
その見方を別の見方に変えていくことを目的としている。
その見たいものって何だろ。
実はとんでもないものを見たがってたりして(笑)。
絵:「けんぽ」表紙イラスト/鬼は外にいる。猫は見た。
ほんとは鬼を外に見たがっている??w
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