誰かのことを怖いと思ったり、怒りが出たりすると、
その人を無意識に監視するようになる。
その人のことがいつも頭の片隅にあり、
気がついたらその人に向かってエアー演説をしている。
(聞こえないことをこれ幸いと)
なぜエアー演説をするかというと、
「自分は間違っていない!」
と、心の中で一生懸命、自分を正当化しているのだ。
「ほら!だから私は正しいのよ!」と。
聞こえてねえし。
これをやっている時、その人を檻の中に閉じ込めている。
「何をしでかすか、何を言い出すか、わかったもんじゃない。
あ、た、し、が、見張っててやるわよ!」
と、檻に入れ、鍵をかけるのだ。
ガシャン!
じっと見張っているうちに気がつく。
自分も檻に入っていることに。
「あたしも入ってるじゃん!」
心はたったひとつ。
人も自分も同じ心出身なので、
人にやることは自分にもやっている。
人を監視、つまりコントロールしようとすることで、
自分までがんじがらめにしているのだ。
チーン。
相手の檻の鍵は自分が持っているが、
自分の檻の鍵もまた相手が持っている。(笑)
これではどっちも開けられない。
そこで登場してくるのが聖霊。
この戦場の世界を上から見渡せるスーパーマン。
「お願いします。聖霊さん。
私は兄弟を監視して、いつの間にか檻を作っていました。
鍵までかけて。
私は間違ってました。
でも自分じゃどうすることもできません。
この二つの檻をあなたに捧げます。
訂正を受け入れます。
どうか取り消してください。」
私はイメージで、二つの檻を聖霊の祭壇に捧げた。
やがてそのイメージの中に光が広がり、
二つの檻も、私たちも消えていった。
でもそれがどうなるかなんてどうでもよくなっていた。
その人を檻に入れていたことに気がついたことの方が大事だった。
それを聖霊に渡せたことが嬉しかった。
しばらくすると、気がつかないうちにその人は私の愛おしい人となっていた。
やることが粋だねえ、聖霊さん。
0 件のコメント:
コメントを投稿