2022年2月15日火曜日

正しい分離


 

誰かと話をしている時、

相手が、こう考えているのではないか、

きっとこう反応するだろう、、、

と考えていている自分に気がつく。


相手の反応を推測しているのだ。


自分が相手の反応に判断や解釈を加えて、

判断メガネをかけてみている自分に気がつく。




だいたい判断というものは、悪いようにしか判断しない。

ということは、その悪い反応を見ることになる。


相手を判断して、きっとこう来るだろうと推測し、


「ほーらやっぱり!私って正しかったんだあ~」

と、密かにほくそ笑む。



事実は、私はその「正しさ」を見たがっていただけだったのだ。


その正しさとは、自分と誰かは分離しているという証明。


そんな「正しい分離」を証明しまくっていたのだった。

人は分離してて当然!と。


これ、じぇんじぇん楽しくなかった。


「しょせんこの世はこんなもの。」

と、ワケ知り顔になり、

せいぜいニヤリと笑うだけだった。


こういう経験を何十年もやってきたので、もういいや。

違う見方をするべ。




話を聞きながら、判断を停止する。

目の前の存在の神聖さを見る。

時には白いユリを敬愛を込めてイメージで渡す。


それでおしまい。

相手の反応なんか確認することない。



だけど判断しないでいると、

気がついたらそこに苦悩は見当たらなかった。


分離のない楽しさが広がっているのだった。


きっと判断するってさ。

相手を縛ることになっちゃうんだろうな。

ちっちゃい存在にしてしまうんだろうな。

そしてそれは自分さえもちっちゃくする。


だって私たちは一つなんだもん。






絵:MF新書表紙イラスト


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