原っぱでくつろいでいると、
梅の香りに誘われて登山者たちが入ってくる。
ここは私有地。私も了解を得て入らせてもらっている。
入り口には立ち入り禁止の張り紙があるが、
人がいるのを見かけると入ってくる。
イヤな気持ちになる。
自分の中に排除の意識が生まれる。
ここは私は入っていいが、あなたたちは入ってはいけないと。
その自分の思いにもチクリとする。
二重にイヤな思い。
目の前の杉山からスギ花粉が、ぱっふ~んと飛んでいく。
「げ!」
それをみた途端、目が痒くなる。
私はスギ花粉を排除している。
一羽のカラスがそのスギ花粉が束になって舞う木の中で巣作りをしている。
カラスにゃスギ花粉が目に入らぬよう。
きっと粉まみれになっていることだろう。
しかしカラスに排除の気持ちはない。
排除するから苦悩する。
カラスにゃ苦悩はない。
排除したいという気持ちは、
自分も排除されるという恐れも抱く。
無意識の中に忍ばせているが、同時に存在させる。
排除という名のコインの裏表。
小さかった頃のいじめられた思いと同じ。
「私は排除された」
それは私は神に見放された!
という思いにつながっている。
駄菓子菓子!
ちゃう。
だがしかし!
神は私を排除しない。
私は今でも神の光の中で、
大きな勘違いの悪夢にうなされ、
ウンウンうなっている幼な子なのだ。
神はそっとささやく。
「我が子よ。
それは単なる夢だよ。
ほら、
私が遣わした聖霊が与えてくれる赦しの道具を使って、
我が子よ。
ゆっくり目覚めなさい。。。」
絵:「ささやく杉」/和紙
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