朝目を覚ますと同時に考えが浮かぶ。
「今日はあれやらなきゃ。」
「昨日の役員会であの人はああ言った」
今、私の心のマイブームになっている話題がやってくる。
そして私はその話題に乗る。
「そうだそうだ。あれはこうやって、
あの人はこう言ったんだ。。。」
その現れてくる言葉に気がつく。
みんなこの世界のことだ。
このふっと浮かぶ言葉が、この世界を支えている。
そうやってこの「ふっと浮かぶ考え」が、
心をこの世界に閉じ込めておくんだな。
「そうだそうだ。この世界があったぞ」と。
これがコースのいう「あなたは何も考えていない」とうことだ。
ふっと浮かぶ言葉は、自我の声。
はっきり聞こえる大きな声。
自我はこの世界があると思わせておきたい。
自我が作り出した世界だから。
言葉は具体的だ。
具体を表すために作られた。コーヒー、テーブル、私、あなた。
形象だけにフォーカスするように促してくる。
世界はそれしかないのだと。
それだけが唯一、君が住んでいる場所で、一番確かなものだと。
それ以外、考えてはいけない。
想像もしてはいけない。
いいかい。
それ以外のこと思い出そうとしたら、とんでもない目にあうぜと。
自我の考えなど、思考とも呼べない。
ただの繰り返しのカセットテープだ。
61年間、擦り切れるまで再生ボタンを押し続けてきた。
でもそのテープは私を大きくしない。自由にしない。解放してはくれない。
よく聞けば、私を苦しめるために、
形を変え品を変え、バージョンが変化しただけの下手くそな歌だった。
本当の思考は、その考えの背後にある。
静けさの中にある。
その思考の仕方を、この世界の見方を、
知っているものに教えてもらう。
言葉のない思考。
具象へのフォーカスをやめたところにある抽象。
そこに触れていくと、この世界の深刻さが消えていく。
実在するものが徐々に現れてくる。
静けさが、歌っている。
絵:「葛」/和紙
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