61回目の誕生日がやってきた。
私はこれまで、何をしなくても、
なんとなく自分の誕生日はどこかウキウキしていた。
母に「お母さん、私を産んでくれてありがとう!」
というメッセージを送るのが嬉しかった。
ところが今回の誕生日はまったくウキウキしない。
テンション激チーン!
落ち込んでいるような、でも何に落ち込んでいるかもわからない。
何があったわけでもまったくない。
どした、私!?
ズーーーーっとテンション低いまま、
「まあ。酒でも飲んで、美味いパスタでも食って、気分を盛り上げるぜ。イエーい!」
と、いつも行くパスタ屋さんへ。
入り口に「マンボーのため、お酒はお出ししません」という張り紙。
チーン。。。。
まあ、しゃあない。。
気を取り直して、
「ここのボンゴレはサイコーよね!
あ。それから漁師のガーリックソテーも!」
と食べた。
チーン。。。。
まずっ!
どした!?今日のシェフ。どしたんだ???
マンボーのせいで、客足が遠のいて新鮮なものが提供できなかったのかもしれんが、
それにしてもその前に味つけがおかしいやろ!
お誕生日チーン3連発。
幻想を幻想として生きる。。。
などとほざいていた私。
どこが幻想やねん。
おもいっくそ現実だと信じているやん!
これをどーやって、幻想として見るねーーん!
ああ、食べ物って、私にとってハードル高いわ~。。。
とブツブツ言ってたら、旦那が言う。
「まずいもんを、まずいって、楽しめばいいんじゃね?」
「!」
「それやっ!」
「うわ~。コレっ、まっず~~~~~。わはは~~💙」
そう言ってみると、急に楽しくなった。
この世界を深刻に捉えると、途端にこの世界が重くのしかかり、リアルになる。
この味を問題として捉え、判断し、批判し、どうにかすべき現実になる。
しかしそれを笑って捉えることは、軽くさせ、明るくなり、リアルではなくなるのだ。
それはただ通り過ぎていくもの。
笑いはその場を変える。
それまでのものを一瞬にして反転させる力がある。
旦那の言葉は、聖霊の言葉だった。
誕生日は、夢の始まり。
夢の主人公が夢の世界に出現するとき。
それは母と子が、激しい痛みとともに、
泣きながら分離する瞬間でもある。
この世が分離の世界であることを象徴するような出来事。
しかしこれが真実ならば、
母と子は笑いと喜びの幸せの中で、一つとして現れるはずだ。
誕生日にいろんなことを考えさせられた。
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