2023年2月3日金曜日

想像してみる


 

夢を見た。


夢の映像は友達と一緒にご飯を食べている。

だけどそのシーンとはまったく関係なくメッセージは訪れていた。


それは、すべての兄弟は誰も悪くないというメッセージだった。



人の行為は、その人がそうせざるを得ない信念があるから生まれる。


たとえ他人にひどいことをしても、

そこに至るまでどんな思いで苦しんできたのか、

どんなところまで思い詰めてきたのか、

だからそうせざるを得ないことをした。


たとえチクっと誰かに悪態ついても、

悪態つかざるを得ないほど、

その人は苦しんできたのだ。

その人の中にある信念がゆえに、

そうせざるを得なかったのだ。


過去に一体どんな経験をし、

その時たくさんの信念を持ち、

そのたくさんの信念で、いいか、悪いかを判断し、

迷い、葛藤の中で苦しんできた経緯があるとしたら、

誰が責められるだろうか。



人を責めるのは、自分の中に罪悪感があるから。


自分の中にあると思っている罪の意識が苦しいがゆえに、

それを人に見て、一瞬心をなぐさめる。


しかし人を責めることは、同時にまた自分を責めることになる。

人に罪を見ることは、自分に罪があると、また宣言することになる。



ところが人に無罪を見れば、その瞬間自分も無罪になる。


これが真実。




誰かが何かやったことに対して、他人を責めそうになるとき、

その人がそうせざるを得なかったその経緯を想像してみる。


そして自分に問うてみる。

もしこれを私がやったとしたら、

私は私を責めるだろうか。


想像力は力だ。


一体誰が誰を責められる?


だから、誰も悪くない。


誰一人悪くないのであれば、誰も赦す必要もない。



コースの赦しは、何も起こっていないがゆえに赦す。


この赦しがコースの赦しとつながるかどうかはわからない。


しかしこのメッセージは、私を安堵させる。




絵:「雨の杉林」




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