最近見るドラマが、なんかおもしろい。
お化けを見る人、同じ人生を何度も生まれ変わる人、耳の聞こえない人。
耳の聞こえない人って聞くと、気の毒な感じがしたけれど、
よく考えてみると生まれてこのかた音というものを知らない人は、
そこに何の不自由を感じるだろうか。
それを気の毒に思うのは、
五感があって当然と考えてる私たちのちょっとした傲慢さなのではないか。
逆に、あるべきものがないと知らされた時初めて彼はショックを感じるのではないか。
今度は、お化けを見る人。
一見気の毒に思えるけど(いや、中には羨ましいと思う人もいるかもしれないが)、
それが99%の人が見えていたのなら、そこで気の毒も何もあったものじゃない。
むしろ「あら。あなた。お化けが見えないのね。お気の毒」となる。
だからこれは比率の問題なのではないか?と思ってしまう。
さて五感というもの。
五感って勝手に分けているけど、そもそもそれ自体が怪しい。
「赤色」が、他の人の「赤色」と同じだと、どうやって証明できる?
「これ、赤だよね。」
「うん。これ、赤だよ」
という会話が、どこまで成り立っているかなんて誰にもわからない。
先日会った人は、音に色を見ていた。
「君、今、青色弾いてたけど、僕はここ赤色にして欲しいんだよね~。」
といって、同じバンドのミュージシャンにドン引きされて、
初めて自分が音と色を同じところにみているのを知ったという。
「音がなっているよね」
「うん。なってるね」
という会話が、どこまで成り立っているのか。
お化けが見える見えないも、怪しい。
私は普通にそこに人がいると思ってるし、ふれられるけど、
他の人からしたら、その人は見えてないかもしれないし、
はたまた、見えているけど、
「ああ。つくしは今お化けと会話している。。。」
と、気づいている人もいるかもしれない(笑)。
ふつーに、人生何度目かを生きている人だっているかもしれない。
あっ、そうだ。思い出した。
先日、自分の前世をはっきり覚えている人がいて、
「私、今40歳なんですけど、前世35歳で死んだから、実年齢75歳なんです」という人がいた。
だからこのところのドラマは面白い。
今までとは違う感覚を動員してくれる。
五感は、はっきり分けられるものでも、
そもそも、音というものが存在するのかも、
今この見えている世界は果たして存在しているのか、
マジなのか、マジじゃないのか、
さえもめちゃくちゃ曖昧にしてくれる。
単なる作り話。で済まさず、
もしそうなら、、、と想像するのも面白い。
そうすると、足元が揺るがされる。
小さい時感じていた、
「そもそも地面って硬いって思っているから私は立ってられるんだよね。
これ、地面が柔らかいって思った瞬間、私は地面にめり込んでいく~~~」
と、焦ったことも、
「君。バカじゃないの?」とも言いきれず、
まんざらでもなかったのかも(笑)
だから価値観なんて、どっかに吹っ飛んじゃう。
こうであるべき、こうなることが幸せの形、、、、なんてえものもめっちゃあいまい。
どんな形でも、その人が、正直に、心底幸せなら、それが本当のことだ。
でも幸せは形からやってくるものではない。
反対だ。
幸せの理由はどこにもない。
もともと私たちは幸せな存在。
そこにお化けが見えようが、
耳が聞こえまいが、
人生何度も生きていようが、関係ない。
幸せはもともと私たちが持っている機能。
たとえAIが、全てを支配したとしても、
ゆいいつAIにできないことがある。
それは喜ぶこと。
喜びが私たちの本当の姿なのだ。
絵:ミステリー表紙イラスト
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