自分の闇/罪悪感を見て、見て、見て、深く降りていくのに、
なんで出口にたどり着くんだろう?って考えた。
深く降りていくことは、自分以外の人たちも、同じように苦しんでいる。
つまり一緒だったと気がつくのは、決して分離ではない。
下へ下へ降りて行けば行くほど、
分離ではなく、ひとつだった。
波の表面にいれば、ずっと分離という形に囚われ続ける。
あなたと波と私の波は違うと。
でもその波はあっという間に別の形に変わる。
一瞬たりとて、「この形が私の波の形」というものが維持できない。
私であったはずの波がいつの間にかあなたの波になっていたりする。
それほど、この波という表層は、絶えず移り変わるのに、
互いの違いを見つけて互いに比較し、戦う。
でもそのせわしなく変わる戦いの波に疲れてきたら、トプンとその下に入ってみる。
するとそこは今まで見た世界と違う世界があった。
恐ろしくなって、すぐに波のところに帰る。
馴染んだ世界だ。絶えず移り変わる比較の世界。そこは息もできる。
しかし水の中に潜ると、まるで違う世界が広がる。
そこは心の中。私の心の中。
荒れ狂う自分の闇。
あいつが悪い。私は悪くない。
このやろう、殺してやる。
あまりにエグい自分に恐ろしくなる。
でも私は赦すという、新しい呼吸方法を知った。
最初はぎこちない。うまく赦せない。
赦し方も形ばかり。赦した気になるだけ。
それでもめげずに他人を赦し、自分を赦すという呼吸法をだんだん習得するうちに、
さらに深く潜ることができ、さらに深く心の中を見ることができた。
ああ、こんな罪悪感があった。
そうだこれも罪悪感だ。
罪悪感の海の中で罪悪感がなんであるかを知り始める。
気がつくと、そばに兄弟の罪悪感を見つけた。
そうだ。彼もまた同じ罪悪感の海で苦しんでいたんだ。
だからあの時、波の表層で、あんな怒り方をしたんだ。
そして自分の恥ずかしさはみんなが持っているものだと知る。
数々の失敗、後悔、葛藤、反省、打ちひしがれた思い、
これだけは誰よりも辛いと思う、惨めな思い。。。
全てはみんなが隠し持っているものだった。
私だけの苦しみじゃなかったんだ。
彼も、彼女も、あの時も、あの自体も。。。。
みんなの思いは同じだったんだ。。。
波の表層では見えなかったものが、ここでは手に取るようにわかる。
みんな苦しんでいる。
たとえ平気そうな顔をしていても。
たとえいっぱいお金があっても。
そこまでくると、赦しという呼吸法は、必要なくなる。
分離が起こっているのは、波の表層の部分だけだった。
肉体があるという思いが、
酸素というものを必要としていただけだ。
そして海の底深くには静けさと絶対的な安心があった。
そこに扉がある。
その扉はその人が持っている罪悪感次第で、
重くもあれば、軽くも開けられるという。
私はそれを開けられるだろうか。
一人ではなく、誰かと。
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