ここのところ、コケたり、滑ったり、
コケそーになったり(そればっかりやな)する。
このことを通して、自分が老いていくってこういうことなんだ、、、と実感する。
体と頭が一緒に機能しない。
そしてそのことに心はいつも終始する。
この足がどうにかなってくれれば、、、
この体がもうちょっと動いてくれれば、、、
ああ、やっぱり私は御多分に洩れず、
老いさらばえて、人様のご厄介になるのか、、、。
そう考えると、ご近所さんたちのグチの意味がわかる。
年行ったからねえ~。
年には勝てないわ。。。
自分の体の変化を通して、
老いということがどういうことかを知り、その思いを知る。
そして昨日、恥ずかしい思いをして、
ひとしきり悶え苦しんだ。
罪悪感がゆえに、悶え苦しむ。
老いもまた罪悪感がゆえに苦しむ。
体を通して、心を通して、
罪悪感がいかに私に深く浸透しているかを、改めて知る。
その苦しみの深い淵に入っていくほどに、
罪悪感の深い淵に入っていくほどに、
他人だと思っていた人たちが、
実は自分とまったく同じ悩みを抱えて苦しんでいることを知る。
ワンネスって、いっしょって意味じゃないだろうか。
悩みもいっしょ。
ひとりぼっちだ。という思いも、
私は無価値だ。という思いも、
私はここにいてはいけない存在なんだ。という思いも、
みんないっしょだった。
例えば、波の先っちょから見たら、隣の波はみんな別々に見えるんだけど、
波の下に潜っていくと、みんな繋がっていて、
みんな同じ海水だったってわかる感じ?
だからご近所のちっとも空気を読めないオヤジも、
ああ、苦しんでいるんだなあってわかる。
俺を認めてくれ~~~っ!愛してくれ~~っ!
って、愛を求めて叫んでいるのだ。
それは私といっしょなのだ。
心の深い闇をずーっと降りていく。
分離しているように見えているけど、
実はひとつだから、
ぜんぶ同じ。
みんな同じだった。
考えたら、当たり前だった。
そしていとしさや、慈悲の気持ちが溢れてきて、
優しい気持ちになってくる。
自分の弱さはみんなの弱さ。
自分の強さはみんなの強さ。
違っているみたいに見えるけど、本当は思いは同じ。
ひとりぼっちじゃなかった。
誰とも違ってたりしなかった。
そしてなおも深く降りていくと、ハッチがある。
そこにこの深い淵からの出口がある。
絵:「ドイツトウヒ」
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