今日は怒りについてちっくと書きます。
今んところ、私が感じる怒りについてです。
まちがってるかもしれんので、真に受けないよーに。
怒りがおこる理由は、防衛本能やとおもう。
何にもなく、いきなり怒る人は竹中直人ぐらいちゃうか。(それは笑いながら怒る人)
たいていは、誰かに何かを言われたり、されたり、見たりして怒る。何かの出来事に触れて、怒りがわきおこる。
なんで怒るかっちゅーと、その見たものが、その人の何かに触れるからや。
何かとは、言葉。
ある観念があって、それに反するものに抵抗をする。こうであるべきなのに、そうならない誰か、そうなっていない現実、そういうものに反応して抵抗する。
もちょっと掘り下げると、死に直結する感覚が起こるので、死を回避するために、自分の身を守るために起こる反応が怒り。
これが瞬時に起こる。
崖で、自分でこけそーになって怒る人はいない。
崖で突き落とされそーになって、はじめて怒る。「なにすんねん!」
ネガティブな感情は出してはいけないというオキテがわしらの中に根強くあるので、特に怒りなんかは顕著にあるので、なかなか自分の怒りをみようとしない。怒りを見ようとしたとたん、それを止める衝動も起こる。そういうことにも気がついてみよう。
いかに自分に「正直」でいられるか。
それが自分の中を見る必須条件。
そしてそれに心が反応していることにも気がつく。「いけないっ!」とおもっている自分に気がつく。
ほんとは自分の心を見ることに、いけないことなんかない。むしろみていったほーが、「なーんだ。こんなことだったのか」ってなことになる。
「今、怒ってるでしょ」
「いや。そんなことない」
「ほんとに?」
「んー。。怒ってはいないよ。ちょっとイライラしているだけだよ」
イライラも、ムカムカも、むっつりも、不機嫌も、ありえない!も、怒り。
人は自分を守るためにそういう言葉で自分をごまかす。
そういう自分に気がついてみよう。
ためしに他人が怒っている所を観察してみる。
その人は自分の意見を正当化しようとしてないだろうか。いわれている相手もまた自分を正当化しようとして、戦ってないだろうか。
どっちもお互いの意見を主張し合ってケンカしている。
それが見れたら、今度は自分の怒りも見てみるとおもしろい。自分が怒る理由を、口に出して、または心の中で言いまくっているはずだ。
これ、怒って当り前。だって、それぞれ生まれて来た環境、育った環境、親の教え方、生きて来た過去、ぜーーんぶ違うんだもん。同じ環境で育った兄弟でさえケンカする。むしろそっちの方がえぐかったりするんだが。
とゆーことは、これ、言い合ったって、解決の方法がないんだ。どっちかがどっちかに妥協するとゆー消極的な解決法、または足して二で割る算数みたいな方法しかない。
ときには天から降って来たよーな、神的解決法が見つかるときもあるが、まれ(笑)。
長くなりそーなので、この次、別バージョンの解決法、書いてみます。
解決法なのかどーか、わからんが。
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