2017年9月21日木曜日

なにすんねん!2


きのうの怒りについての続き。

数学的に怒りを解消する方法や、言葉で怒りを解消する方法以外にも、別な解決法がある。
スポーツやって気を紛らわせる?友ダチにグチる?飲んで忘れる?
ちゃうがな。


怒っているとき、からだはどう反応しているだろうか。
心の中を見ることが出来たら、今度はからだの中を見てみよう。
あたまの中がぐちゃぐちゃ言ってるのはほっといて、
ソファにでも座ってくつろぎ、からだにフォーカスする。

まず、怒る自分に許可を与えてあげる。
「怒って、ええで

ただじっと座る。怒った感情をそのままに、自分の身体を観察する。
CTスキャンみたいに、頭からスキャニングしていくでもいいし、
胸のあたりを意識してみるでもいい。

不動明王みたいに、体全体が燃えてる感じがする?
みぞおちが重たい?
反対に寒気がする?
足ががくがくする?
胸の所が、ぎゅーっとねじられている感じがする?
なんかいてもたってもいられないような、落ち着かないかんじ?
ワナワナ震える?

あんまりこうやって自分の身体を見るって経験ないとおもわん?せいぜいからだが痛いときぐらいじゃないかな。ほんとはね。これがほんとのじかの体験なんだ。頭はそれにいろんな解釈を与えて、ドラマチックに展開させているだけなんだ。



私がはじめて自分の怒りを見たとき、全身がカアーッと熱くなっているのに気がついた。胸から後頭部を通って、頭を抜けていく熱いエネルギー。

「なんだこりゃ?」と思っていると、そのエネルギーは腕に移動し手の先に向かい、何かを叩きたくなる衝動が起こった。
「ははーん。人はこれで他人を殴るんやな」と納得する。
そして今度は足先に向かってエネルギーが移動。
「ほほー。これで何かをけりたくなるんやな」と納得。

いつのまにか、怒りは怒りを与えた相手に向けられるのを忘れて、自分の中で起こっている壮大なエネルギーの感覚の観察に夢中になっていた。

やがて消えはじめるエネルギーに
「イヤイヤ。もっと怒ってええで」と、催促する。
しかし催促しても、あおっても、再びあの怒りを再現しようとしても、
ピタッ。。。。。。とやんだ怒りは、再び戻って来なかった。

「なんや。怒りって、単なるエネルギーやったんや。。。。。」


私たちは自分の中に起こるあらゆるエネルギーに、名前をつけた。
これは怒り。これは哀しみ。これはよろこび。これは不安。これは恐怖。。。。

それぞれにこれは味わってもいいけど、これは味わってはダメと良い悪いと区別した。
自分の中に自然と現れてくるエネルギー。それをいい、わるいとレッテルをはって、受け取ったり、受け取らなかったりしているのだ。

現れたエネルギーを受け取ると、消化して消えていくようだ。
受け取らないと、ズーーーと居続ける。クローゼットの中にムリヤリしまいこんでも、あるものはある。だから似たような事件が起こって、似たよーな感情がわきおこっちゃうのだ。同じよーなことでいつも怒ってない???

でもこの世の中はうまいことしてくれているもんで、その人にあったタイミングで、ちょうど良い時に、出来事は起こる。だから見れないときは見れないで良いし、怒りをためていることをいけないことだと思わんでよろし。

頭で考えても解決できないものが、からだを感じて、からだの反応を受け取ることによって、今まで気がつかなかったアイディアや、それを起こした原因が、腑に落ちたり見えて来たりする。これがどうしてこうなるのかは、まったくわからない。

そして、こっちの怒りが消えていると、相手の中にも怒りが消えている。どうも同時進行にうごくようなのだ。これがこの世は投影と言われるゆえんなのか。

いくら相手に対する怒りを抑えていても、心で煮えくり返っていたら、相手はいつまでも、こっちの気に入らないことしかしない。
けれども、こっちの中の怒りが完全に抜け落ちると、事態は真反対になる。
そういう体験を何度もするうちに、これはマジかもしれない。。。とおもったしだい。


自分の感じていることや感情を淡々と見てられるか。それをおもしろがれるか。
そんな所にヒントがあるように思える。

長くなりました。
怒りについてを自分なりの考えを書いてみました。

大事なことだから、二度言います。
真に受けないよーに。




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