2017年9月14日木曜日

わしらは背中にいろんなもんを背負い込んでる



私たちは普段、無意識に自分にレッテルをはって生きている。

私はイラストレーター。
私はおんな。
私は日本人。
私は56歳のおばさん。
私は畑をやっている。
私の収入は少ない。
私にはダンナはいるが、子供はいない。
等々。

そのレッテルをいったんはずしたらどーなるのか?
ふとおもいつき、変な実験を開始。
今、ここで、何のレッテルもない私。。。。

。。。。。

。。。。。?

。。。。。。。。。!

なんと。
何が変わった?
何の問題もなくなったのだ。

心配事も、気になる問題も、将来の不安も、誰かにあるうっぷんも、
消えた。。。。。

そのとき感じたんだ。
わしらは、背中にいろんなもんを背負い込んで生きているんだって。

車の助手席に座っているとき、
「私はイラストレーター」と考えなくてもそこに座ってられる。
「私はおんな」と考えなくてもそこに座ってられる。
「私は日本人、56歳のおばさん、畑、収入少ない、ダンナはいるが子供はない。。。」などと考えなくても、私はそこに座ってられる。。。!
なんてえこったい!
座ってられるじゃあないか!

なのに、無意識にレッテル張りが行なわれている。
「ああ、私はイラストレーター。。。なのに、収入が少ない。。。ああ、どうしたらいいの?そうだ。先日出したスケッチの返事が、まだピーターから来てない。。。ああ、直しが来るのか?それとも私のスケッチがひどくって、今ごろ仕事がポシャっているのかもしれない。。。また収入が消える。。。あああ。。。」
などと、車の助手席に座りながら考えるのだ。
これって、考える必要があるのか。
そこで考えて何になる?


人は考えて何かをする、考えたからこそ、いいことができると思っている。だからつねに考えようとする。しかしやまんばは実験した。結果、考えたっていいアイディアなんてほぼ浮かばない。考えのほとんどはネガティブなことばかりだった。ネガティブが浮かぶと、あせる。あせって行動をする。ろくな結果が出ない、を繰り返していた。

そして今車の中。
今ごろ仕事がポシャって。。。。と考える意味がどこにあろうか。むしろそれでどれだけ心の疲れを引き起こしているか。そこに建設的なものなど皆無だ。
それはただ自分をいじめているだけだった。

だから、レッテルをはっている自分に気がつき、それをはずした。。。。

夜寝る前、思いだしてまた実験。
そこにはなーんの問題もない。布団の上で座っていることに、何のレッテルも必要なかった。
ただ、そこにいる。
それだけだった。痛快だった。



朝、パソコンを開けてメールチェックをする。
NYのピーターから直しのメールが来ていた。

またいつものレッテルはりがやってくる。
「ああ、やっぱり直しか。。。私のアイディアが悪かったんだろうか。。。アートディレクターは、私の才能なしにあきれているんだろうか。。。やばい。はやくやらないと。。。!」

「おっと!また同じパターンにはまってらい。
レッテルはり、なしね!」

レッテルはりは、過去をつねに連れてくる。
あのときあれが失敗だった、あれをもししなければああはならなかった。だからあれを繰り返さないようにしないと。過去を振り返って、直していくというのが今までのやりかた。

しかし今はそのやり方に疑問を感じる。もうそれは散々やった。それによって、過去の失敗に引っ張られ、過去を背中に背負い込んで、重たい背中で事を進めていた私がいた。


過去は過去。
今は今。

透明になって、今を生きましょ。






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