善悪の判断が今まさに作動しているということは、怒っていたり、心配していたりの、何かしらの感情をともなっている。
それに「気づいている」というのは、その感情に抵抗していないことなのだ。わいてくる自分の感情を、ただ観察しているという状況なのである。
人は感情的になると、ほとんど自動的に怒ってはいけないとか怖がってはいけないとおもう。それが抵抗。
この抵抗こそが、感情をもっと大きくさせている。
あまりにも瞬時に同時に起こっているので、気がつきにくい。
1:ある状況が起こる。
2:瞬時に善悪の判断(つまりその人がもつ概念)がなされる。
3:その判断にともなって(だいたいは『いけないこと』)怒る。こわがる。
4;身体に反応が起こる。(ふるえるとか、かあ~っとあつくなるとか)
5:その反応に抵抗する。(怒ってはいけないと思う)
6:ますます怒る。
以上のような心とカラダの反応が、コンマ1秒単位で起こっている。
その瞬時の心とカラダの反応に、
「あ、今自分怒ってる。。」
って気がついたらシメタものだ。
そ、こ、で、「あ、怒っちゃいけない!」
とおもったら、今までと同じ。
「あ、今自分怒ってる。。」
って気がついたらシメタものだ。
そ、こ、で、「あ、怒っちゃいけない!」
とおもったら、今までと同じ。
「怒ってるぞ。おお、今怒ってるぞ。おれ、怒っちゃってるぞお。おお、どこまで怒る?」
と、自分の怒り加減をカンサツしてみるのだ。これは抵抗ではない。自分の怒りを受け取っているのだ。
すべての感情は同じエネルギーのようだ。
感情が出たとき、カラダが反応するのはそのため。自分で出したエネルギーを感じている。
だが人はそのカラダの変化にびっくりして、止めようとする。それが抵抗。出たがっているエネルギーを自分で押し殺してしまうのだ。
だけどいったん出されたものは、受け取ってもらわないと消えていかないらしい。いつまでたってもその人の近くにいて、
「ねえ、受け取ってよ。ねえってば」
と受け取ってくれるのを待っているようだ。
だから似たような事件がその人に起こってくる。そこでまた同じような反応をして、
「ほらほら、あたし!おぼえてる?ほらほら、受け取ってよ!」
って出て来るのだ。
んで、同じことでいつも怒っているってことに気がついたら、その怒りに抵抗せず、それに気がつきながら自身で受け取る。
するともう同じことで怒らなくなって来る。これがふしぎ。
するともう同じことで怒らなくなって来る。これがふしぎ。
「ああ~、そうよ、そうこなくっちゃ!」
って消えて行くようだ。
そうやって人は一つ一つ自分でつけたタガ、つまり善悪の判断によって苦しむ自分自身への縛りをはずしていくようなのだ。
2 件のコメント:
つくしさん、ありがとう!
今、実験中~
これで、やっと理解できた気がします。
仕組みがわかったら、実験、実験!
ゴーゴー!
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