家でぞうきんがけしているとケータイがなった。
「あのー、クラブの前で今待ってるんですけど。。」
げげ!町内会の人からだ。今日の打ち合わせは確かキャンセルしたはず。。。
今年はやまんばが町内会の年当番。行事の準備をする係。その前準備で打ち合わせをする予定だったが、変更に変更が重なって、うまく連絡がいかなかったようだ。
「すっ、すいませ~ン、今からすぐ行きます!クラブの鍵はお手数ですが、そちらでAさん宅から借りてきていただけますか?」
慌ただしくぞうきんを放り投げてクラブに向かう。新しくなったクラブはやまんばんちから遠い。早足で歩きながら、
「うほ~、なんだなんだあ?なにがおこってるんだあ?」
と、おもってみる。
そう、やまんばは反応を変えてみてるんだ。
以前のやまんばだったら、
「どっ、どないしょー!あのときちゃんと直接本人に電話しとけば良かった!」
とか、
「ああ、これでわたしが仕事できないことがバレてしまった!」
とかなげいて、おろおろうろうろどきどき、胸がばっこんばっこんなってしまってた。
だが今は胸がばっこんばっこんなっているのは、ワクワクしているのだと思ってみる。
すると結果オーライ。
予定してなかったクラブ用の新しい冷蔵庫も安くていいのが手に入り、本番に向けてのシュミレーションができたのだった。
人それぞれに、それぞれ独自の反応をしている。
その反応がその人を作る。
親を見れば、「うざっ」というかもしれないし、さいふの中身を見れば「げげっ、やばい!」っていっちゃうかもしれない。社長を見れば、緊張するかもしれないし、日曜日の夜に明日のことを考えれば、ゆううつになるかもしれない。
そういう風に反応するとき、そこには一種のムードとゆーか、トーンとゆーか、空気感とゆーか、何かがパフっと放たれている。そのパフッと飛んだ空気をまた本人が吸うのだ。出すものは受け取られる。
同じことを何度もくりかえして反応を続けていると、そのものになる。それは自分が出した反応をそのまんま受け取っているからだ。
法則というものがあるとすれば、それが法則だ。
自分が思ったもの、反応したものを受け取る。
「高いものを買うと、何いわれるかわかりませんからねえ。ちょっとでも高いものを買っちゃうと、『冷蔵庫は冷えりゃあいいんだろ。なんでそんなに高いものを買うんだ?』なんてねえ。。。よかったよかった」
一緒に冷蔵庫を買いにいった町会の人はこういって、ホッとしたようすだった。彼はいつもそういう風にまわりとのバランスを気にしている人のようだ。一般的にはとてもいい人だろう。だけど彼の中でいつも何かに怯えているようすがうかがえる。そのことは彼自身にとってはどうなのだろうか。
さて、あなたはどう反応する?
反応はいくらでも変えられるよ。
0 件のコメント:
コメントを投稿