ばちがあたるということばがある。
このことばはわしらの心に深く根付いている。
いい行いをすればいいことがやって来る。
悪い行いをすれば悪いことがやって来る。
この一見当たり前のよーな『法則』に、わしらはヤラレちまっている。
ほんとにそーなんか?見たんか?じぇったーい、そーなるんか???
かみさまが上から見てて、
「お、A子はいまいいことをしたな。ほんならほうびをつかわそう」
「お、B子はいまわるいことをしたな。ほんならおしおきをしてやろう」
って、神様が罰を与えるんか?
かみさまはそんなふーに、目には目を、歯には歯を、見たいな、こころのセマコいことするんか?かみさまがくれる愛は、はかりにかけて比べて、あなたの行為しだいで、愛をあげたり、罰をあげたりするんか?
そんなちっこい存在なんか?
それって、かみさまにしつれーなんじゃないかと、わしはおもうた。
そーおもってるのは、わしらのほうなんじゃないか?
わしらが勝手に、それはそーなるのだと信じて(そういう法則を作って)からのち、その『法則』をちっとも疑わないで使い続けているだけじゃないの?
ほんでもって、勝手に作った法則に、びくびく、おろおろ、悪いことしたら悪い事が起こる。。。いいことしよっと、いいこと、いいこと。。。。って、なんかいいことせんといかんって。。。
これって強迫観念ちゃう?
人にやさしく、自分に厳しく。。。。
いかん、思わずケーキ食って自分にやさしくしてしもうた。こりゃどっかでバチが当たる。ンじゃあ、自分に厳しく、だ。ダイエットダイエットと。。ね?イイでしょ?今ので帳消しになった?
。。。おろおろびくびく、、、ひやひやどきどき。。。
いかん、思わずケーキ食って自分にやさしくしてしもうた。こりゃどっかでバチが当たる。ンじゃあ、自分に厳しく、だ。ダイエットダイエットと。。ね?イイでしょ?今ので帳消しになった?
。。。おろおろびくびく、、、ひやひやどきどき。。。
そんな自分に気がつかないで、
「おれ、びくついてナイッスよお~」
って、おろおろしている心を押し入れの中に封じ込める。
「ちゃんとしなきゃ」ってのも、もともとは、ちゃんとせんとバチが当たるって、とこからきてんじゃないか。
ひょっとしたら、ばちがあたるっておもってるから、イヤなことが起こると、
「やっぱりバチが当たったんや!」
と、勝手にそれとこれをむすびつけているだけなんじゃないか?
じつはそれとこれはまったく関係なく、ただそれがおこっただけなんじゃないか?引き寄せているようにみえるのは、それとこれを結びつけて勝手に解釈するってことだったんじゃないか?
ひょっとしたら、ばちがあたるっておもってるから、イヤなことが起こると、
「やっぱりバチが当たったんや!」
と、勝手にそれとこれをむすびつけているだけなんじゃないか?
じつはそれとこれはまったく関係なく、ただそれがおこっただけなんじゃないか?引き寄せているようにみえるのは、それとこれを結びつけて勝手に解釈するってことだったんじゃないか?
やまんばの「ちゃんとしなきゃ病」はこんなところがもとにあったんやなあ。
んでかみさまは、そんなやまんばを、
「よきにはからえ」
と、ほほえましくおもってくれてんのやろうなあ。
(いつから神様は殿様になったんじゃ?)
宇宙はどこまで行っても寛大やな。
2 件のコメント:
バチは当たるもんじゃなく、悪い事があったときに、これってバチじゃね!?って思う気持ちだと思う・・・。
もちろん、悪い事はしちゃいかん!っていう親からの教育あっての話ですけどね。
まさに!
何か悪いことが起きたとき、それがバチだと解釈するだけのことなんよね。
くっつけなきゃ、いちいちびびらんですむのにね。
ああ、そっか。
悪いことする→親に怒られる。
ってのが、最初のバチが当たる的法則の『発見』か(笑)。
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