2022年7月13日水曜日

「うえから京都」あさって発売!



友達が書いた小説が、

あさって7月15日に角川春樹事務所から発売される。


「書きたい話があるんよ」と、あらすじを聞かされて、

「え!絶対おもろい!書き!書き!」

と、軽はずみに言った。

一年後、まさかこんなにはっきりとした形になろうとは。


初めての小説。


角川春樹氏の「おもしろい」という一言で、ことは動き、

いきなりの角川春樹事務所からの単行本。


ありえない!(笑)



彼女の起点の速さ、行動力、説得力&バイタリティには感服する。



高校時代に出会った彼女。

その片鱗はすでにあの頃からあった。

彼女はどんどん周りを引っ張っていく。

弁の立つところは誰にも負けない。

しかもちゃんと筋が通っているからぐうの音も出ない。


そして直感力。


徹夜してテスト直前まで必死で勉強しても、

ちっとも頭に入ってこない私に彼女は言い放つ。


「テスト勉強?そんなもんせんでええよ。わたしゃ、何もせん。

先生がこれテストに出すやろなあとおもたとこだけ覚える」


結果はいわずもがな。いつも上位にいた。


高知から京都、そして東京。

なぜか彼女とはいつも近くにいた。


それに妙な縁もある。

二人とも父親が警察官。一人っ子。ついでに旦那の名前も同じ。。。w



この小説は、彼女の生きてきた半生が垣間見える。

まるで主人公は彼女かのごとく、

豪快で弁の立つ主人公坂本龍子が彼女に見えてくる。


高知、京都、東京と旅してきた彼女。


それぞれのお国の特徴をよく捉えた、スピーディで軽快な台詞回しの連続で、

ぐいぐい彼女の世界に引っ張り込んでくる。

それは英語も韓国語もこなす彼女だからこそ、

言語の違いやニュアンスの違いもよくわかっているのだ。


また、高校時代から見えていた、兵法に長けた彼女の戦略法は、

マジでこんな構想で国が動くのもアリなんじゃね?と思わせるほど。


そしてそのスピード感の合間に、チラチラ見える艶っぽいものや、

京都ならではの匂いを放たせる巧みさも光る。


それは高知から初めて京都に来た高揚感が、
まだ新鮮に残っているかのような初々しさが、

キラキラと文章の端々に見える。

読みながら、私たち二人が辿ってきた道をなぞっているかのようだった。




京都、大阪、兵庫、奈良、滋賀、高知、そして東京。


それぞれのお国の匂いを存分に楽しめる痛快政治コメディです。

(そんなジャンルってあったっけ?)


ぜひ、楽しんでください!




写真:「うえから京都」/篠友子著





2022年7月11日月曜日

ネオの脱出


 

人が優しい。日常が楽しい。


そんなことが続くと、ふつふつと湧き上がってくる例のやつ。。。




夜中、息苦しさで目がさめる。

心にボワ~~~っと、わけのわからんネガティブな感情が。


う。。きた。


言葉にならない恐れ。

自分を否定してくるような感情。裁き。


それは言葉にすれば、

「お前はそんなふうに幸せであっていいのか?

そんなものを味わっている場合か?

幸せになる資格などあると思うなよ。

楽しいことがあれば、その代償は必ず支払わねばならぬ。

ほーら、これから辛いことがやってくるぞ。。。」



この世界に生まれてきているということは、

もれなく「お前には罪がある」という信念とともにやってくる。


だから幸せを全開で受け取ろうものなら、

しっぺ返しがくると、思い込んでいるのだ。


私たちが幸せ下手なのはそういう理由。


「幸せすぎて怖い。。。」

恋愛の真っ最中など、その恐ろしさが全開になったりする。


そしてどうせ悲しみがやってくるのなら、

とっとと自らそれを壊してしまった方が安心する。。。とまで行く。


どこかで自分の不幸を願っているのだ。

不幸であれば、それが安心の材料になる。


この理屈、不思議でしょ?

不幸であることが安心って(笑)。


だから上手いこといってる時、

心が落ち着かず、問題を探している自分に気がつくことだ。


それは言ってみれば、今不幸であるならば、

もうこれ以上不幸になることはないだろうという思い。


もしくは、神様。私は今不幸という罰を受けています。

だから自分の罪を軽減してください。。!と。




自我は絶えず裁こうとする。

その自我のいうことをどれだけ聞いてきても、

完全な幸せにはならなかった。


その自我の正体に気がついてくるなら、

これこそが自分を不幸に貶めていただけだとわかってくる。


実はその裁きこそが、自我が生きていられる原動力になっている。

マトリックス、つまりこの世界の原動力は、罪と裁きと恐れなのだ。


その正体に気づくと、自我からの抵抗が始まる。

夜中に怒涛のごとく私を裁くことによって。


自我が生きていられる方法は、私が裁き続けてくれること。


社会を、他人を、自分を、さばいてさばいて裁き続けてくれたら、

ヒャッホーイ!大成功~~っ!と大喜びする。

私の不幸の上に成り立つ自我。



「自我は裁きなしには生き残れず、

裁きがなくなれば退けられる」

(奇跡講座/第4章/自我の幻想より)



裁くことをやめていくことは、自我自身が消滅してしまう。

それが自我が一番恐れていること。



私は自我ではない。


自我が消えていった後に残るものは、

ほんとうに実在しているもの。



自分へのご褒美どころか、

自分への罰の思いに気がついて、

そこから離れていくことこそが、

この世界に生まれてきたことの理由であった。


ネオはそこから脱出したのだ。



絵:「ドラゴン」






2022年7月9日土曜日

正しさと幸せは相容れない


 

正しくあろうとすると、苦しくなる。

そんな体験をする今日この頃である。



選挙も「正しさ」のオンパレードだ。


お互いの「正しさ」が違うことで、

抹殺したり、抹殺されたりする事態にまで至る。


安倍元首相にはお悔やみ申し上げます。





正しいってなんだろうね。

それは時代と場所と人によって、

場合によっちゃ、動物たちによってもえらく違う。


いや、動物たちには「正しい」も「間違っている」という観念もないだろう。


上昇気流に乗ってゆっくり天に上がっていくワシも、

家のものを突散らかす犬も、

喜びの中にある。


「正しい」は人間だけにある観念だ。



正しくあろうとすることは、正しくいることによって、

自分がここにいてもいいと安心を買うことでもある。


でも同時に、その正しさの後ろには、間違いを存在させる。

「こうであることが正しい」という瞬間に、

「こうでないことは間違い」というものをも出現させるのだ。


そこで必ず葛藤が起こる。

こうでなければいけないのに、こうでない自分。又は他人。


その「こうでなければいけない」形を巡って、言い争いやわだかまりができる。


でも本当は、人は幸せになりたいだけなんじゃないか。




幸せを求めるうちに「こうであれば幸せ」という形を作った。

ここで正しさが生まれる。

正しさは言葉と形を作った。


でも幸せは、形や言葉を超えている。



こういう形にならなくても、

誰かに「あなたは正しい」と認められなくても、

幸せでいることができる。


正しさと幸せは相容れない。


正しさの不自由さ、

互いを縛りつけるという限界に気づいて、

そこにいることを放棄していくとき、


自由という幸せが、

すでにそこにあったことを

思い出させてくれる。






絵:朝顔/COOPけんぽ表紙イラスト






2022年7月4日月曜日

この三日間、なーんにもしてない!


 

めちゃくちゃ忙しかった今年前半戦を終え、スコーンと時間が空いた。


秋に展覧会が決まったとはいえ、

今からバタバタ動かなくてもいい今日この頃。


いったい私は何をしたらいいのだ?と、心が騒いでいる。


人は生きるために何か建設的なことをしなければいけないという概念に縛られてきた。


何もしないでいることは罪。

手でも鼻でもなんでもいいからとりあえず動かしていることで、

明日のおまんまにありつける。

そういう信仰が私の中にあった。




「この三日間、なーんにもしていない。。。やばい」


「ああ、あれができた。満足」というものがない。。!


でも振り返ってみると、

「いや、ブログ書いてるではないか」とか

「ほつれたところを縫い直したではないか」とか

「庭の草刈り、途中までやったではないか」とか

何かしらある。


それでもどうも満ち足りないのだ。

何かしら欠乏感が。。。。w





夜中、自分のうるさい声で目が覚めた。

心が何か喋っているのだ。


何言ってるかさっぱりわからないのだが、

どうも何か「する」ことを必死で言っている。

これしなきゃ、あれしなきゃと。


あまりにうるさいので起きた。

暗闇の中でじーっとして、その声を聞く。

この声を聞くほどに、心細くなっていく。


何かが足りない。

何かして、何かを満たそうと、と大騒ぎしているのだ。




そうか。静かにしよう。


騒いでいる声を意識的に止める。


静けさがだんだん広がってくる。

それと同時に、何かが満ちてきた。

私の心いっぱいに何かが満ちていく。


さっきまでの心細さと何かが足りないという感覚は、

何かしなければという声とともにいた。


しかしその声が消えていった時、そこは満たされていたのだった。




自我は自分は無力だという。いつも足りない。

その足りないものを満たさねばならないと言い張る。


しかし自我自身が無であった。

無が無で何かを満たそうとしてもそれは無理な話だ。

だって無なんだもん。



そのうるさく急き立てる声に従って、

何かをやって、何かを満たそうとしても、


草刈りであれ、仕事であれ、お金であれ、

満たされきることはなかった。



しかしもう一つの選択、聖霊とともにいることは、

本来の自分に帰る道。

それが唯一実在する、有の道なのだ。


そこに立つとき、形ではないものが帰ってくる。

隠されていたものが、現れてくる。


すでに満ちているものがそこにある。


日常の忙しさや、日常のあれこれに気を取られている時こそ、

そのことを常に思い出したいと思った。




絵:MF新書表紙イラスト





2022年7月2日土曜日

神の愛の現れ

 


早朝、目が覚めた時、頭の中がぶつぶつ文句を言っている声を聞く。


寒い。風邪を引くんじゃないか。

あれはどうするんだ?これはどうやるんだ?

あの問題はどうやって解撤するんだ?

などなど、言葉にもならない問題定義を次々にだしてくる。


それを聞いて、

ああ、まただ。まだ私はこんなにも問題を抱えて。。。。


ん?ちょっとまてよ。

これ、本当にそう?


聞こえる声を疑った。


これ全部ウソじゃないの。。。?


神の愛を妨げている障壁を取り除く。

この声こそが、その障壁。。。じゃね?

その声を、まともに聞く必要があるのか?




最近、二つの見方があることに気がついてきた。


一つは、いつもの見方。

あーじゃない、こーじゃない。

どーせ私が悪い。とか言いながら、やっぱりあいつも悪い(笑)。


もう一つの見方は、

あれもいいし。これもいい。

みんないいんだ、そのまんまで!



前者は、自分の中に罪を感じている。

その罪を抱えているがゆえに、自分や他人を裁く。

問題を見つけて、それを解決するために躍起になる。


後者は、自分に罪を抱えていない。

自分に罪がないので、人にも罪を見ることがない。

だから問題も見つけられない。


そうすると、何もかもが楽しくなって見えてくるのだ。

あれもいいし、これもいい。

ああ~楽しいなあ~~と。



前者が持っている罪は、自覚がないことが多い。

自我はそれに気づかれては困る。

まさかそれが自我の原動力だなんて気がつかれたら、ヤバイのだ。

正体がバレて、消えるハメになる。

だからできるだけひた隠しされる。


今朝の私の中に聞こえた声も自我が誘ってくる声だ。

お前には罪があるぞ~~。

どうだ~~~。こんなにも問題を抱えているぞ~~って。


一見根拠がある問題だが、

自我を選べば、それは問題として存在するかに見える。


しかし聖霊を選ぶことが増えれば増えるほど、

それが実在していないことがだんだんわかってくる。


神の愛の現れを妨げるものとは、自我を選んだ時の心だった。

その自我の目で見た世界のみが、錯覚だったのだ。。。!



私はここにいていいのか。

いていいと言われるためには、あれをしてこれをして。。。

それは自我の吹聴だった。



私は何をしても、しなくてもここにいていいのだ。

それは神の愛の現れなのだから。




絵:「天狗舞」


2022年7月1日金曜日

秋、展覧会をすることになった


 

秋、展覧会をすることが決まった。


今回は正規のギャラリーじゃない。

古い日本家屋の中に展示させてもらうのだ。


通常はキューブという何もない真っ白な壁のギャラリーに絵が飾られる。


でもそこは日本家屋ならではの、

小さな空間がそこかしこに散らばっている。


床の間はもちろん、小さな小間や出窓もある。

しかも床の間は独特の群青色の壁。

すべてが美しい空間。


そのいちいちが味わいのある空間に、

ポンっと私の絵が飾られることになるのだ。


ワクワクしちゃうことこの上なし!


今回も和紙を使った作品となる。

和紙の風合いは原画で見てもらわないとわからない。


今回は、あらゆる空間に絵を飾ることになるので、

結構な数の絵が見せられる。

モノクロのシリーズ、色のシリーズ、

一度も展示されたことのないものばかり。


外は手入れの行き届いた庭園。

そして雑草という名の草花も、

自然な形で取り入れられているセンス抜群の空間が広がっているのだ。


家屋の雰囲気、季節の草花、盆栽の数々。そして私の和紙の作品。

総合的に楽しめる空間になると思います。



場所は高尾山の近く。

もし高尾に来られる人があれば、ぜひ見に来てください。


詳しい日程はまた後日。




絵:「夢をささやく」和紙