2022年7月11日月曜日

ネオの脱出


 

人が優しい。日常が楽しい。


そんなことが続くと、ふつふつと湧き上がってくる例のやつ。。。




夜中、息苦しさで目がさめる。

心にボワ~~~っと、わけのわからんネガティブな感情が。


う。。きた。


言葉にならない恐れ。

自分を否定してくるような感情。裁き。


それは言葉にすれば、

「お前はそんなふうに幸せであっていいのか?

そんなものを味わっている場合か?

幸せになる資格などあると思うなよ。

楽しいことがあれば、その代償は必ず支払わねばならぬ。

ほーら、これから辛いことがやってくるぞ。。。」



この世界に生まれてきているということは、

もれなく「お前には罪がある」という信念とともにやってくる。


だから幸せを全開で受け取ろうものなら、

しっぺ返しがくると、思い込んでいるのだ。


私たちが幸せ下手なのはそういう理由。


「幸せすぎて怖い。。。」

恋愛の真っ最中など、その恐ろしさが全開になったりする。


そしてどうせ悲しみがやってくるのなら、

とっとと自らそれを壊してしまった方が安心する。。。とまで行く。


どこかで自分の不幸を願っているのだ。

不幸であれば、それが安心の材料になる。


この理屈、不思議でしょ?

不幸であることが安心って(笑)。


だから上手いこといってる時、

心が落ち着かず、問題を探している自分に気がつくことだ。


それは言ってみれば、今不幸であるならば、

もうこれ以上不幸になることはないだろうという思い。


もしくは、神様。私は今不幸という罰を受けています。

だから自分の罪を軽減してください。。!と。




自我は絶えず裁こうとする。

その自我のいうことをどれだけ聞いてきても、

完全な幸せにはならなかった。


その自我の正体に気がついてくるなら、

これこそが自分を不幸に貶めていただけだとわかってくる。


実はその裁きこそが、自我が生きていられる原動力になっている。

マトリックス、つまりこの世界の原動力は、罪と裁きと恐れなのだ。


その正体に気づくと、自我からの抵抗が始まる。

夜中に怒涛のごとく私を裁くことによって。


自我が生きていられる方法は、私が裁き続けてくれること。


社会を、他人を、自分を、さばいてさばいて裁き続けてくれたら、

ヒャッホーイ!大成功~~っ!と大喜びする。

私の不幸の上に成り立つ自我。



「自我は裁きなしには生き残れず、

裁きがなくなれば退けられる」

(奇跡講座/第4章/自我の幻想より)



裁くことをやめていくことは、自我自身が消滅してしまう。

それが自我が一番恐れていること。



私は自我ではない。


自我が消えていった後に残るものは、

ほんとうに実在しているもの。



自分へのご褒美どころか、

自分への罰の思いに気がついて、

そこから離れていくことこそが、

この世界に生まれてきたことの理由であった。


ネオはそこから脱出したのだ。



絵:「ドラゴン」






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