2022年7月22日金曜日

分離という夢

 


恐れの重低音の目的は何か。

分離だ。


あなたと私は違うという分離の概念を起こさせること。


子供はどうやって生まれる?

母親から別れることによって。


その始まりは一個の細胞分裂から。

分裂に分裂を繰り返して、一個の人間という個別の肉体になる。


出生時は泣きながらこの世に生まれてくる。

母から離れるのが悲しいのか、

はたまたこの世に生まれ堕ちることが恐ろしいからか、

少なくとも喜びで泣いて出てくるわけではなさそうだ。



人だけではない。モノもまたそれぞれが分かれている。

テーブルに置かれたコップは、各々別れて独立している。


別れているとはどういうことか。


互いに否定し合わなければ、

それが存在できない。


コップはテーブルを否定しなければ、

コップではなく、テーブルもまた然り。


私はあなたではないから、私であり、

あなたもまた私ではないから、あなた。


分離は、相手がよくわからないというおまけ付き。

あなたのことがわからない。

何を考えているのかわからない。

わからないから恐れる。


言葉もこの世界で生み出されたアイテム。

わからないから言葉を使ってわかろうとする。


しかし思いを言葉という限られた道具を使っても表しきれない。

言葉で伝わらないと、態度で、形で、モノで表す。


そうしていつの間にか、互いにすれ違っていく。


そしてその互いの緊張の中で、やきもきし、ビクビクし、

それが満杯になった時、雪崩が起こる。


その雪崩のせいで誰かが傷つき、密かに仕返しを企てる。

しかし攻撃は新たな攻撃を生み出し、それが終わることはない。



なぜこんなことに?


それこそがこの重低音の目的。


互いが互いを否定することによって分離が成り立つ世界。

その分離の材料は、恐れ、罪、罪悪感。


この世の物語が、何度も繰り返されていることに私は気づいた。

何百回も、何万回も、何億回も。。。

歴史の中で、自分の過去の中で、デジャヴの中で。

全ては罪、罪悪感、恐れが元になっている。



そして分離とは違う道があることを知った。


そもそも分離などしていなかった。

分離とは夢であったのだ。


この地球は夢という劇場。


物語は分離とともに始まる。

しかし分離そのものがない時、物語もない。


このことが分離を生きている私たちにはとても退屈に思える。


しかし真実が一瞬扉を開けた時、どこかで知っていたことを思い出す。


ここでの学びが、

牢屋に閉じ込められることだけでしかなかったこと。


私たちはここで生きるだけの、

限られた体を持った、

か弱き存在などではなかったことを。




絵:「ドイツトウヒ」




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