2022年7月9日土曜日

正しさと幸せは相容れない


 

正しくあろうとすると、苦しくなる。

そんな体験をする今日この頃である。



選挙も「正しさ」のオンパレードだ。


お互いの「正しさ」が違うことで、

抹殺したり、抹殺されたりする事態にまで至る。


安倍元首相にはお悔やみ申し上げます。





正しいってなんだろうね。

それは時代と場所と人によって、

場合によっちゃ、動物たちによってもえらく違う。


いや、動物たちには「正しい」も「間違っている」という観念もないだろう。


上昇気流に乗ってゆっくり天に上がっていくワシも、

家のものを突散らかす犬も、

喜びの中にある。


「正しい」は人間だけにある観念だ。



正しくあろうとすることは、正しくいることによって、

自分がここにいてもいいと安心を買うことでもある。


でも同時に、その正しさの後ろには、間違いを存在させる。

「こうであることが正しい」という瞬間に、

「こうでないことは間違い」というものをも出現させるのだ。


そこで必ず葛藤が起こる。

こうでなければいけないのに、こうでない自分。又は他人。


その「こうでなければいけない」形を巡って、言い争いやわだかまりができる。


でも本当は、人は幸せになりたいだけなんじゃないか。




幸せを求めるうちに「こうであれば幸せ」という形を作った。

ここで正しさが生まれる。

正しさは言葉と形を作った。


でも幸せは、形や言葉を超えている。



こういう形にならなくても、

誰かに「あなたは正しい」と認められなくても、

幸せでいることができる。


正しさと幸せは相容れない。


正しさの不自由さ、

互いを縛りつけるという限界に気づいて、

そこにいることを放棄していくとき、


自由という幸せが、

すでにそこにあったことを

思い出させてくれる。






絵:朝顔/COOPけんぽ表紙イラスト






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