近所に引っ越ししてきた若い人たちが、
農薬はもちろん、肥料も使わない自然農法、自然農、自然栽培、炭素循環農法などに興味を持っていることを知る。
私がそれを始めた頃は、誰も知らなかったというのに。
私はいつもちょい先を行く。
みんな後からついてくる(こらあ~。どこから目線や)。
お隣さんが勤める会社は、そういう農の形をバックアップしようという動きまであるらしい。
時代だねえ~。
私はというと、11年続けた畑を手放してもっぱらスーパーの野菜を買う。
近所を歩けばオヤジが畑からナスやらピーマンやらその場で収穫してくれて、
持ちきれないくらいもらう。
畑をやっていた頃は、農薬も肥料も入っていない野菜にこだわっていた。
山の植物たちと同じ。混ざり気のない自然がそのまま現れてきた純粋な野菜。本当に美味しかった。
だからその横で肥料をせっせと入れる虫食いだらけの野菜を毛嫌いしていたのだ。
ところが今は農薬も肥料もたっぷり入った野菜をありがたく頂戴できる。
理屈ではそんな危ないもの、体に入れてどうするんだ。
純粋なものを取り入れてこそ健康だろうと思うんだろうが、まったく違う。
そんなもの関係なく健康なのだ。
そういう経緯があるから今の私には言えることがある。
体は食べ物でできていない。
私たちは心で食べている。
心こそが私たちを健康にもし、病気にもする。
危ない野菜、安心な野菜。。。
情報が私たちをどんどん不安にさせる。
知れば知るほど混乱を生む。
探せば探すほど、さらに迷子になる。
私が自然農、自然農法、自然栽培、、、と
ありとあらゆる方法で試して訳が分からなくなったことと同じように。
そしてある日気がつくのだ。
これって本当?
物質にエネルギーがあるわけではない。
思いにエネルギーがある。
ありがたい思いで食べる。
喜びとともに食べる。
それが幸せを生み出す。
喜びで料理する。
喜びで絵を描く。
喜びが伝播する。
喜びって味わえば味わうほど、それが真の強さだと知る。
形はきっかけに過ぎない。
その形を見て、その後ろにある神を感じる。
どんな形であろうとも。
心が恐れを選ぶのか、
愛を選ぼうとする意志を持つのか。
恐れを選ぶのは簡単だ。
それ、いつもやっていることだ(笑)。
でもそっちではなく、
愛を選びたいという意欲を持つ。
思い返せば、マクロビとも名付けられていなかったマクロビのはしりの頃(30年前)、添加物や砂糖も一切とらず、豆をひたすら食い、荻窪の「ぐるっぺ」で無農薬野菜を買い、健康に気をつけていたにも関わらず、実態は心も体もボロボロで、井荻にある漢方薬屋さんで漢方を飲み続けしのいでいた。健康と呼ぶにはあまりに遠かった。
その頃の私は恐れを選んでいた。
物質に力があると信じ、その力に翻弄されることを恐れていた。
だからピュアなもの、力があるように見えるものを選んでそれを取り入れることによって
自分もピュアな体になれると信じていた。
だが実際は違っていた。
力は外から取り入れるものではなかった。
内側、つまり心という自分の宇宙が知っているものを思い出すことだったんだ。
それこそが本当の力。
すでに私たち自身が持っている力。



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