2024年10月17日木曜日

心を吐露する

 

「みずひき草」和紙

心の中の苦悩を吐露する。


これがどんなに心を癒すのか、だんだん気がついてきた。

少し前、爆発的に怒った私がいた。心の中の思いを全部ぶちまけたんだ。

するとその夜、不思議に心が落ち着いていた。

あれ?なんだこりゃ?


それまでは自分が言ったことに後悔し、その苦しさにまた相手のことをエアー演説し、

その自分への後悔と相手への怒りが収まらず、ひたすら天に救いを求めてきた。


しかしあの時から、何かが変化した。

あんなに罵倒したのに、全く罪悪感がない。静けさと軽さがあった。


「あなたの思いをすべて私に渡しなさい」

コースは言う。


これが癒しなのか?




それから人が愚痴を言ったり怒ったりするとき、それをただ聞くようになった。


それまでは「いや、それはあんたも悪いでしょう~」と、さとすように言ったもんだった。

そしたら、相手もブチ切れて、大げんかになる。

私の考えとしては、

「どちらにも言い分がある。だからその相手の言い分も理解しないといけないのだ」

と話したつもりだった。

その結果大げんかが絶えなかった。




ある時、めったに愚痴らない人が、カフェで愚痴り始めた。

あれ?珍しい。。。


「長年兄弟のように思ってきた奴が、自分にあんな仕打ちをする。悲しい。」


私はそれを聞いて、そりゃあその彼の今の状況を考えれば、

そうなっても仕方がないよなあと思ったが、それを口に出すのはやめた。


今、目の前の人は自分の思いを吐露している。

それはとても大事な時間だ。

心の奥にずっと抱えていた思いを、少しづつ私の前に出してくれているんだ。


カフェの丸いテーブルの上に、その人の思いが置かれていく。

それは暗い闇の中に隠してあったものを、自ら光のもとに持ってくる行為だ。

その貴重な瞬間を私は優しい心で受け取っていた。


ただ、そうかそうかとうなずいた。何のアドバイスもせずに。



カフェを出て、その人は言った。

「そっかあ~。これを愛で見るんだな。愛で見ると、途端にあいつが愛しく見えてくる」


これが癒しなのか。。。


状況は何一つ変化していないのに、見方を変えただけで、心は愛に変わる。

歩きながら、私はその奇跡に遭遇し、心が震えた。




この世界はいつも問題解決に忙しい。


あいつがああやるから、それに対してどう対応するか、

どうやってあいつを説得するかなどという考えになる。

具体的にどう行為をするか。何を「する」か。


それはあいつと自分が分離したままで、そこに融合するものなどない。

この世界の具体的な解決方法に、つながりや喜びはないのだ。


しかし奇跡は何もしない。

苦しい思いを光のもとに持ってくるだけでいい。

それをどう解決するかは「『私』に任せなさい」という。

それで勝手に何かが解決している。


自我まみれの私たちには何もできない。

ただ「あなたの思いをすべて私に渡しなさい」というままにすればいいのだった。


唖然とした。

たったこれだけでよかったのか。。。


それは人と一緒にやるといい。

一人で日記に思いを書き連ねているより早い。

人と一緒にそれをただ見る。

それだけでその闇は浮上し、消えていくのだ。


例えば夫婦が、それぞれの仕事場で辛いことがあるとする。

二人でゆっくり話せる時間を作って、仕事場でのぐちを吐露するのだ。

相手はただその話を聞く。ウンウンとうなづく。

それだけでいい。何のアドバイスもいらない。何の解釈もいらない。


そういう時間をわざわざ作る。

それが癒しになる。

何をどうこうする必要はない。

心に溜まった隠しておいたものをただ話す。そしてただ聞く。

それがたとえお互いの文句であっても。ただ聞く。

(それはなかなか難しいけど笑)



吐露する。

ただ聞く。


癒されていく。


その関係は、自分は一人ではないことを教えてくれる。

一人で解決できるものではないことを教えてくれる。








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