内側に起こってくる感情。
最初は自分が今どんな感情になっているか気づきもしない。
気づかないまま、感情に翻弄されて衝動のまま動く。
自分が怒っていることさえも気づかない。
やがて自分が今どんな感情になっているのか気づき始める。
怒ったり、不安がったりして恐れの中にいることに気がつき始める。
ほどなくして、恐れを解消するために行動しているのだと気づく。
怒ることも恐れがゆえに怒るのだとわかり始める。
行為することのほとんどが、恐れからくる衝動なのだと知る。
そして自分が日常の中で、ほとんど恐れの中にいることにあぜんとする。
恐れから突き動かされていることに気づくと、恐れを止めようとする。
しかし何をやっても恐れはとまらない。
恐れを止めようとすればするほど、ますます恐れは膨らんでいく。。。。
苦しみの中でどうしようもなくなった時、
コースの言葉を思い出す。
そうだ、この思いは自我だ。これは私ではない。
自我が私にこの思いを吹き込んでいるのだと気がつくと、
少し楽になる。
ああ、この思いは私ではないのだと。
今度は、恐れの思いが出てきた時、
これは自我だ。私ではないと思い出し、それを退けようとする。
ところが一向に消えない。
あの手この手を使って、一晩中恐れと格闘する羽目になる。
そしてほとほと疲れると、
「もういいや。。。こいつと一緒にいよう。。」
と、あきらめる。
恐れの中で恐れと共にいるうちに朝を迎える。
これは絵本「夜の嫌いなヒルディリド」に出てくる
夜を嫌いまくるヒルディリドばあさん、そのものだ(笑)
そうやって恐れと格闘すること、数しれず。
ある時、恐れと共にいると、
知らない間に寝てしまっている自分に気がついた。
あれ?
それからは恐れが出てきたら、恐れと共にいるようにしている。
私の中にあったものが、今出てきてくれているんだなあ~と、
出てきた感情を真正面から見て、受け止めるんだ。
じーっとその中で一緒にいる。
それは通り過ぎることでもなく、
ただ湧いてきただけだと知らん顔するのでもない。
「ヤダ~出てきた。聖霊さん持って行ってえ~」と、
嫌なものを扱うように拒絶することもない。
また、自我/恐れを選んだ自分がいることを受け止める。
そんな自分さえも否定しない。
これはどんな自分も赦すってことなのかな。
じーっとそれと共にいると、
胸の奥がチリチリと何かが引っかかるように感じていた感覚が、
だんだん消えて曖昧なものになっていく。
しばらくすると
「あれ?なんだったっけ?」
とさっきまでの恐れが何だったか忘れている。
その間、何もしていない。
何かに対処するためにやることは一つもない。
形に怯えていたはずなのに、形が変わりもしないのに、
心が静けさを取り戻す。
その時、目に見えているものは、
実は私に何の影響ももたらさないものなんじゃないかと思い始める。
ただ自分がそう思い込んだだけなのだと。。。
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