ある人が、自分の状況を話してくれる。
それは苦しみに満ちていた。
またある時は自分の心の内を話してくれる人がいる。
それも苦しみに満ちていた。
知り合いに、人も羨む権力の世界を渡り歩いてきた人がいる。
その人も今は方向を失い、心はどこに向かっていいのかわからなくなっている。
周りを見渡すと、お先真っ暗な人々ばかりだ。
ほとんど引きこもりの人も、権力を手にした人も、
みんな等しく心の闇をさまよっていた。
70才になっても80才になっても、ずっと探し続けている。
どうしたら安心できるのか、どうしたら幸せになれるのか。
そうしてだんだん気づいてくる。
この世界はそうでしかないのだ。
幸せはいっときのものでしかなく、
あっという間に消えていくので、
また次の幸せを求め探し回る旅。
私たちは双六の平らな盤の上でウロウロするコマの一つ。
これが私たちが求めてきたものだ。
神から離れて、自分で世界を作りたかった。
放蕩息子が描いた世界。
分離の中で幸せを作り上げようとした結果。
結果的にそれは不幸せばかりを生んできた。
苦しんで、さまよって、絶望して、恐れて、悲しんで、、、、。
それは神と全く真逆な世界。
「この世界はあなたが作り出した」
とコースはいう。
双六という盤を作ったのも私。
その中でゲームをしたいと駒の一つになったのも私。
苦しむために私たちは生きている。
気がついたら、お金を稼ぐためだけに生きている。
自分のために家族のために必死で稼いで、ほんのちょっとご褒美をもらう。
ただそれだけのためにほとんどの時間を費やして生きている。
そして老いれば、今度は健康になりたい!という思いで生きていく。
これのどこが幸せなのだろうか。
私たちは双六という苦行の中にいる。
この盤の上には幸せは見つけられない。
なぜならそれは私が自分に与えた罰ゲームなのだから。
苦しむのは自分に罰を与えているからなのだ。
そして心の深いところで、自分自身を嫌っている。。。
なぜ?
私は小さい時からずっと自分が罪深いと思ってきた。
どうしてそうなのかわからなかった。
コースはこの罪悪感の意味を初めて解き明かしてくれた本だった。
「あなたは神を裏切ったと信じて罪を感じたのだ」と書いてある。
そしてこうもある。
「しかしあなたに罪などない。あなたは今も神の中にいる」と。
裏切ってもいなければ、罪もなかったのだ。
ただちょっと「神から離れてみたら、どーなる?」
と思い描き、
「な、なんてことを考えてしまったのだ!」
という一瞬の動揺がこの双六(宇宙)を作り、
その中に埋没することで本当の自分を忘れてしまっただけなのだと。
最初その話を聞いてもポカンとするだけだった。
神?裏切った?
すんません。記憶にございません。
でもこの意味不明な私の罪悪感は、
その元をどんどん辿っていくと、そこにしか原因が見つけられなかった。
そして周りを見渡していても、確かにあの人もあの人も
心に罪悪感を持っているから苦しんでいるのが見える。
みんな罪人のように背中に刑を背負って生きている。
「マジでそういうことなのか?」
この世界は完璧じゃない。
一見筋が通って見えるけれど、よく見れば筋が通っていない。。。
本当なのかもしれない。
私に罪などなかったのかもしれない。
そんな思いがちらほらと浮かんでくる。
浮かんでくるほどに、少しづつ双六の盤から足元が浮く。
完璧な物理学の理論に沿っているはずの双六の盤にほころびが見え始める。
だんだん遠くの景色が見えてくる。
双六の色や形が薄くなってくる。
双六にはない存在を感じ始める。
それは形も音もない抽象の世界。
もう自分に罰を与える必要はないのだ。
もう苦労を買ってでもする必要はないのだ。
双六の苦行ゲームから降りるとするか。
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