「癒し」について書いてみる。
奇跡のコースには癒しが必要だとしょっちゅう書いてある。
私は癒しってピンとこなかった。
「癒し?はて?なんのこと?」
SNSで、ネコを見て「は~癒されるう~」というのを聞いて、
「そりゃーまあ猫は可愛いに決まってんだろが。それのどこがどう癒されるんだよ」
ってな具合になんかウザい感じがあった。
だからコースに「あなたには癒しが必要だ」と書いてあるのも、
「なんかウザい。。」と思ってた。
ところがある時、ものすごーく辛くて辛くてどうしようもない時、
「癒しを求めなさい」という言葉に触れて、思わずすがった。
「私には癒しが必要です!癒しを私にください!」
それからどこでどうなったかは記憶にない。
私に癒しが訪れだした。
なんとも言えない暖かさに触れて、
「は~癒されるう~」になったのだ。
ただぼーっとしているだけで満たされて、
ゆるんで、幸福感が現れてきて、ウキウキし始めた。
そしたら人と道であってちょっと話しただけなのに、
「あ~つくしさんに会えて癒されるう~」とか
「人は間違うもんです」と言っただけで
「はあ~、癒されるう~」とか言われだす始末。
私何もしてないんですけど。
癒しを求めたら、癒しが私に取り憑いて
ぬらりひょんみたいな「癒し妖怪」にでもなったか?
癒しが近くにあると、赦しもくっついてくるようで、
いろんなことがそんなに深刻でなくなってくる。
人の噂話もニヤニヤ聞ける。
AさんがBさんを嫌ってても、その理由を聞いてもそりゃあ、
その一理はある、嫌う理由もわかる。
だけどそれを聞いても私はAさんもBさんも大好きなままだ。
みんな愛を求めて「私を愛して~」と言っているだけなのだから。
愛を求めていることはみんな同じだ。
私もAさんもBさんも。
みんな一緒。
そこの視点に立つ時、自分だけがいいものになったり、
自分だけが悪者になったりしない。
形を見ると、形にとらわれる。
どの形が正しいかということに終始する限り、幸せはやってこない。
それは罪悪感を形の中に隠蔽しているだけだから。
そっちを必死で見ても答えは出ない。
形は罪悪感とくっついている。
その形の向こうを見る。
そこには形のない何かがある。
AさんやBさんといった分離がない何か。
互いがつながった何か。みんな一緒だという何か。
癒しはそれを思い出させてくれるそよ風みたいなもんかな。
そよ風が吹いて、「こっちだよ~ん」とそちらに向かせてくれる。
ああ、そうだ。こっちだった。こっちこっち。
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