「君は変わらなくていいんだよ。
そのまんまでいいんだよ。
自分を否定することはないんだ」
ダンナがうちに遊びにきた友人にそう言った。
その時私の心に、今いる3人がまったくそのまんまを肯定されているイメージが見えた。
「そうだ!
私らこの3人、何一つ変わらなくていいんだ!
そうだ!そうだ!私も変わらなくていい!
何も変わらなくていいんだ。
何も変えなくていいんだ!やったあ!」
私は喜びで飛び跳ねそうになった。
人は何かをしようとする時、何かを変えようとしている。
行動のモチベーションはほとんど恐れからくる。
「~をしなければ」「こうであらねばならないからこれをする」
心の前提に、こうあるべき姿があって、その姿に今私はなっていない。
だからこそ、その姿になるために行動する。
それ自体が、今この時の自分への否定だ。
私は変わらなければいけない。
私を変えなければいけない。
私たちはその思いが意識にも登らせないほどに、
息するようにびっちりこびりついていて、
それが焦燥感となって、つき動かされている。
人に対しても持っている。
あの人は変わらなければいけない。
なんとかして変えなければいけない。
それが逆方向に変わった。
あの人は、変わらなくていいんだ。
あのままでいいんだ!
誰も変えなくていい!
そう思った時、心が自由になった。
あの人も、この人も、その人のまんまでいい。
その人のまんま。。。
イメージする。
その人のまんま。。。
するとなぜかホッとする。
その人への愛しさが湧き上がってくる。
ホッと安堵するような不思議な想い。。。
きっとそれは自分への想いなのだ。
自分が自分のままでいいと、自分を受け取っているんだな。
何もする必要がないい。
どうにかして自分を変える必要もない。
ああ、なんだ。何もすることはなかったんだ。。
なんの努力もいらない。
作戦を練らなくていい。
計画立てなくてもいい。
今そのまんまの自分で、なんかやりたくなったらやればいい。
なんも思いつかなかったら、そのまんまぼーっとしてればいい。
人が誰かの悪口を言っていても、
それを止めることもしなくていい。
言うには言うだけのその人のこれまで生きてきたことからの理由があるのだ。
それを止める人もそのままでいい。
それを止めなければいけないと思うその人のこれまで生きてきた理由があるのだ。
そう思えるようになってきたのも、
自分の中から罪悪感が徐々に消えてきたからだろう。
人のネガティブな行為を見て、それを嫌だなと思ってきたけど、
それは自分の中で自分を否定的に見てきたからそう反応してたのだと知る。
自分への否定が少しづつ減ってくると、人への否定も減ってくる。
なんで?だってひとつの心だから。
だからダンナが言った言葉は、私に向けて言ってくれた言葉だったんだ。
何も変えなくていい。
変える必要もない。
あなたは、あなたそのもので、すでに素晴らしいのだ。
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