あるとき、自分の未来のことがとてつもなく恐ろしくなった。
「どうしようどうしよう。このままいったらとんでもないことになる、、!」
毎回やってくる恐れ。
ブログに書き続けてるから、
これを読んでいる方たちもうんざりされていることだと思う(笑)。
今までは気がつかなかったほんの小さな不安でさえも、
そこに光が当てられるからはっきり見えてしまう。
そして安堵し、また次の不安がやってきて。。。
徹底的にやるんだな。
自分の中のあらゆる観念を浮上させ消していくために。
冒頭の恐れとはお金の恐れ。
この恐れの心を落ち着かせるには、
今から入ってくるお金の予定があることを思い出しホッとするか、
これからどんな仕事をしてお金をゲットするかという計画を立ててホッとさせるか。
このどっちかであった。
でも入ってきたとしても、減っていけばまた恐れることになる。
入ってきてはホッとして、減ってきては恐れて、
そしてまた入ってくる計画をあの手この手で考えて、、、、
という繰り返しでしかない。
なんか違う。。。。
未来は過去の延長線上にある。
過去を思い出しては未来を考えている。
ということは過去を見れば未来がある程度予測できるのだ。
つまり私がさっきの考えでいる限り、
過去と同じ未来がやってくるという保証がある。
この保証は欲しいのか?
ずっと悩み続ける保証。。。(笑)
過去は後悔。未来は恐れ。。。。
やだ!
もう恐れで予測できる未来はいらない!と思った。
未来を真っ白にしたい!
そう思った時、過去が頭から突然消えた。
そうか。過去を握っている限り、未来も過去と同じなんだ。
だけど未来をさっぱりわからない
未知のものにしたいと思う時過去は消えるのだ。
それは未来をすべての可能性に開示、明け渡すことでもある。
まっさら、真っ白、さっぱりわからない!
すると今度は自分さえも、「さっぱりわからない」者になった。
ここにいるものは一体なんだ?
肉体でもなければ、ニンゲンでもない。
今ここに、何かわからない存在としている、これは何だ?
わからない。
わからないって、分からないって書くよね。
分けられないってことか?
想像できる未来は過去を背負っている。
それは「分かる」ものだ。
分かるとは分離なのか?
あなたと私、過去と未来、原因と結果。
知ってるもの。過去のデータによって分かっているもの。
でもわからないものは、分けられないもの。
あなたは私で、過去と未来は今になり、原因と結果はひとつになる。
完全に真っ白なところにいる時、心がとても安堵した。
私は何者かわからない、
どこで何をするのかもわからない。
だから私は何をする必要もない。
あの時からこのことを思い出すたび、平安になる。
私は何?
(単に認知症の前触れだと人は言う)
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