ある時急に具合が悪くなった。
誰か助けてくれ。。。そう思ったが誰も助けてくれない。
一人体の不調に耐えた。
私のことを誰も助けてくれない。。。。
襲ってくる恐れ、そして怒り。
あ、今日はこれか。。。
毎日予想もしなかったところから、レッスンがやってくる。
その都度それと向き合う。
不意に出てくる恐れを、これは自分の考えではない、
ただ湧いてきただけだと流すことは私にはできない。
そこに出てくる思いは、
きっと私の中にある何かが出てきてくれようとしているのだと思っている。
「これはこういうものだ」という信念が私を苦しめていると
苦しみの原因がはっきりわかるものもあれば、
言葉に置き換えられない漠然とした恐れもある。
しかしその恐れも、私の中にあるものが浮上して浄化を促していると信じるようになった。
個人の私と言いながらも、私たち全員であるひとつの心が恐れを持っていて、
それを私を通して浮上してきているんだろうと。
「恐れが出てきてくれているんだな。
出てきてくれてありがとう。」
恐れている最中は苦しいが、その恐れを優しく見る時間をもつことが大事だ。
それはその恐れを自分のこととして受け入れ、赦していく行為なのだと思う。
隠し持っている闇を光の下に持っていくのだ。
その中にいるうち、みるみるうちにその恐れが消えていくことがある。
そういう経験が「恐れは物質的に解決してこそ消えていくものではない」ことを実感する。
先日もどこから聞こえてきているかわからない音に悩まされた。
よく聞いていると壁の中だ。壁の中ではどうしようもない。
しかも誰が立てている音かもわからない。
どうしようもなく、誰の音かもわからない、何の解決法もない中で、
私は音に対する恐れを持っていることに向かわなければいけないこと(レッスン)を知る。
何かを削除して物事を解決するというのは、
この物理的な世界の解決法だ。
しかし原因はそこにはない。
心の中に何を信じているかを見るきっかけを教えてくれているだけなのだ。
そうやってだんだん物理的なことではなく、心が重要なのだと気づいてくる。
心が変われば物理的な変化がなくとも安堵する。
これにはいつも驚く。
目の前のものが何一つ変わっていないのに、
喜びが溢れてくるのだから。
こういう体験が増えてくると、この世界が少し遠のく。
この世が幻想だという言葉もがぜん真実味を帯びてくる。
そうして満月を眺めながら喜びで涙が止まらない夜もやってくる。
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