GYAOの配信で、「ブラッシュアップライフ」というドラマを見ている。
33歳で死んだ主人公が、受付で来世はオオアリクイだと聞かされて悩む。
そしてもう一回今世をやり直すという選択をする。
オオアリクイでの来世の理由は、あまり徳を積まなかったということで、
彼女は再度生まれ変わり必死で徳を積む。
しかしまた33歳で死に、
今度はほんのちょっと徳を積んだらしく、来世はサバに。
さんざん悩んだあげく、また3巡目の今世に挑戦。。。。
という面白い設定だが、私はそうも笑っていられない。
時々やってくるデジャヴ。
「なんか。。。これ、前に見たことあるぞ。。。知ってるぞ、これ。。。」
そのドラマは記憶が残ったまま繰り返すが、
この私のデジャヴは、ひょっとして記憶が消された何巡目かの、この人生ではないのか。。。?
そのデジャヴは、マジでその記憶がふと蘇るだけじゃないのか。。。?
同じ設定で同じように反応する自分がいる。
誰かにこう言われたらら、こう切り返す。
誰かにこう思われているかもしれないと、恐れを抱く。
そしてその恐ろしいことが起こらないために策を練る。。。
ということの繰り返しは、
生まれ変わっているかどうかは置いといても、
まさに人生の繰り返しなんじゃないのか?
この一つの人生の中で、何度も同じ設定で同じ反応を繰り返す。
このことが、輪廻なんじゃないのだろうか。
自我は「違う違う」という。
「新しいことだよ。今まで体験したこともないことだよ。
ほら、その中で反応して。」
こうやって私はまたこの世界にひきづりこまれているんだとしたら。。。
あのドラマは、徳を積んでいくほどに、人間に戻れる(?)のかもしれないが、
そもそも人間に生まれ変わることになんの得があるんだろうか?
このたかだか何十年の人生。
楽しいったって、大した楽しさでもない。いずれ死ぬ。
ブッダがこの輪廻から出るように教えたのは、
この生まれ変わることになんの意味もないと知ったからではないか。
それが「苦」なのではないか。
ではこの輪廻から出るには、どうすればいいのか。
同じ反応をしないことだろう。
誰かにこう言われたら、こう切り返さない。
誰かにこう思われているかもしれないと思ったら、それを取り消す。
ほんの小さな自分のいつもの反応でさえも、
それに気がつき、やめていく。
過去と同じ反応を選択しない。
そのほんの一瞬の心の選択で、何かが変化しているのを感じる。
今までとは違ったものがそこにある。
同じ反応を繰り返していた頃は、同じ結果しか生まなかった。
苦しんで、次の苦しみに向けてまたもがく。
同じ反応をしていた時には、時間があった。
でももう同じ反応を選ばないと、、、、
時間が消えていく。
今、ここにいはじめる。
それは輪廻という時間が消えていくからではないだろうか。
絵:「イチイの木」
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