2023年1月12日木曜日

町会の歴史をたどる

 


ひょんなことから、うちの町内会の歴史を追うことになった。


NYから、直接この土地に移り住んだ時、

ここはまるで日本昔ばなしに出てくるような光景だと思った。


旧甲州街道沿いにあるうちの町会。

近所には関所跡もある。

街道沿いに点々とあるお地蔵さんや石碑。

メインの通りから少し入ったところにある小さな祠。

道のすぐ横を流れる川も、ひっついたり離れたりと蛇行して変化に富んでいる。

浅いところやゴツゴツした岩場、いきなり現れる深い淵。


去年の秋から年始にかけて聞き取りを始めたご長老たちの話。

その風景に、人々の営みが重なって立体的に見えてくる。


市の水道が出来る前に町民が作った水道。

昔あったため池。

淵についた名前。それは誰それさんという弓の名人の名。

土葬の風習、不思議な町内のならわし。

鶏を飼い、牛を飼い、豚を飼い、米を作る人々の生活の様子。

そこには自給自足を営む頼もしい姿があった。




コースを学んでいる私にとって、この世界は幻想でしかない。

そんな考えの私に歴史を辿る資格はあるのかという疑問があった。

しかしなぜか心はウキウキしている。

これをどう捉えていいのかわからなかった。


時間というものはリニア式に流れていると思われている。

過去は今はもうここにはない。

しかしその全てが今ここに畳み込まれているとしたら?


今私がパソコンを打っているこの家、

つまり昔は荒地であったその場所から後ろを振り返ると、

印半纏を着た小作人たちが稲を刈り取っていたら?

左を見れば川から縄文人が水を汲んでいるとしたら?

全てがもうすでに起こったこととして、ながめているとしたら?


大きな赦しの中で、私はそれを眺めるだろう。

過去が、恐ろしいものではなくなる。

過去が今、生き生きと蘇る。


そこには愛があった。

愛の思いがゆえに、愛する人たちのために、人々は工夫をして生きていた。


私はそれを喜びとともにひたる。




絵:「山越え/神社」


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