ひょんなことから、うちの町内会の歴史を追うことになった。
NYから、直接この土地に移り住んだ時、
ここはまるで日本昔ばなしに出てくるような光景だと思った。
旧甲州街道沿いにあるうちの町会。
近所には関所跡もある。
街道沿いに点々とあるお地蔵さんや石碑。
メインの通りから少し入ったところにある小さな祠。
道のすぐ横を流れる川も、ひっついたり離れたりと蛇行して変化に富んでいる。
浅いところやゴツゴツした岩場、いきなり現れる深い淵。
去年の秋から年始にかけて聞き取りを始めたご長老たちの話。
その風景に、人々の営みが重なって立体的に見えてくる。
市の水道が出来る前に町民が作った水道。
昔あったため池。
淵についた名前。それは誰それさんという弓の名人の名。
土葬の風習、不思議な町内のならわし。
鶏を飼い、牛を飼い、豚を飼い、米を作る人々の生活の様子。
そこには自給自足を営む頼もしい姿があった。
コースを学んでいる私にとって、この世界は幻想でしかない。
そんな考えの私に歴史を辿る資格はあるのかという疑問があった。
しかしなぜか心はウキウキしている。
これをどう捉えていいのかわからなかった。
時間というものはリニア式に流れていると思われている。
過去は今はもうここにはない。
しかしその全てが今ここに畳み込まれているとしたら?
今私がパソコンを打っているこの家、
つまり昔は荒地であったその場所から後ろを振り返ると、
印半纏を着た小作人たちが稲を刈り取っていたら?
左を見れば川から縄文人が水を汲んでいるとしたら?
全てがもうすでに起こったこととして、ながめているとしたら?
大きな赦しの中で、私はそれを眺めるだろう。
過去が、恐ろしいものではなくなる。
過去が今、生き生きと蘇る。
そこには愛があった。
愛の思いがゆえに、愛する人たちのために、人々は工夫をして生きていた。
私はそれを喜びとともにひたる。
絵:「山越え/神社」
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