心は、具体的なものに覆われている。
言葉はほとんど形にのっとったものだ。
だから心は形を追いかけている。
町会の歴史をたどるとは、
過去の形を追いかけることになる。
あの形やこの形。
この形にするために、人はどう考えて、行動をとって、どういう生き方をするか。
この町会の100年単位の歴史や人物像が、私の頭の中にいっぺんに入ってくる。
それをまた言葉という形でどうやってまとめていけばいいのか。
心は言葉と形だらけで苦しくなって寝られない。
そんな時、私は静けさの中に入る。
形も、音も、感触も、匂いも、味も、その五感を全て通り越して、
それにまつわる思考も、それに伴うか感情も、
すべて通りこして、静寂の中に入る。
透明な世界。
そこに触れていると心が落ち着く。
こういう時間をできるだけ多く持つにつれ、
頭の中でしゃべっている自我の声が、
いかにこの世界に集中させようとしているのかに気づく。
「ほら、あれやらなきゃいけないでしょ。」
「ああ、足が痛い。どうしよう。
なんとかしてこの痛みを取り除かなきゃ。」
「ピーターから返事がない。どうしよう。
今頃アートディレクターは私の下手くそなラフスケッチに頭を抱えている。」
「この膨大な資料、どうやってまとめるのよ。」
この声のすべてが、この世界があると言い続けている。
私はそれをそっと脇に置く。
五感を超えて、思考を超えて、感情を超えて、何もないところに行く。
そこには一見何もないように見えるけれど、確かにある。
そこに私はいる。
形もないもの。想像を絶するもの。
ありありて、あるもの。
私はそこに触れる。
ピーターの返事もやがて来るだろう。
この膨大な資料もやがてまとめられるだろう。
この痛みもやがて収まるところに収まるだろう。
目の前に起こっている出来事は、勝手に動いていく。
そこに心をどう寄せるかに、私たちの幸せはかかっている。
私には何もできない。
実は何もしていない。
何かしているつもりの、その両手をゆっくり離していく。
操縦しているつもりのハンドルは、その形に繋がってはいない。
大騒ぎしてあたふたしていようと、静けさの中にいようと、
ことは勝手に動いている。
それなら静けさの中でそれを眺めていたい。
膨大な形を赦していこう。
今、私がやっていることは、
過去を清算していっているのだろう。
たとえそれが私の過去ではなく、
町会の過去だとしても、同じことだ。
なぜなら同じ一つの心から作りだされたものだから。
絵:「山越え/出会い」
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