最近出た新刊「とある神秘家との結婚」という本を読んでいる。
ディヴィッド・ホフマイスター という、
コースをそのまま生きているような人と結婚した奥さんが書いた。
本には彼女の中にどんな葛藤が生まれていくのか、正直に書かれている。
神秘家と結婚なんて、めっちゃラッキーや!
と思いきや、
ぎゃくに自分の内面がはっきりと映し出される鏡と一緒に生活しているような感じになっていく。
ひえ~~、強烈や~~~。
私も自分の内面がクリアに見えれば見えるほど、
どんどん葛藤し始めるので、彼女の苦悩がめちゃリアルに感じる。
ディヴィッドは彼女の聖霊みたいなもんだ。
その生身の聖霊に、正直に彼女が感じている彼への攻撃、嫌悪、全てを打ち明ける。
彼はそれを無邪気な子供のように受け止め、彼女はその場その場で癒されていく。
しかし癒されては、また憎しみや怒りが生まれる。
人が持った信念は相当ある。
その時その時見つける不快感は、それを手放すために少しづつ起こっている。
それを今度は聖霊に打ち明ける。
ジャーナリングという方法で筆記しながら聖霊と話すのだ。
聖霊はいう。
「あなたの闇を私に渡してください。」
彼女が自分の心を正直にみて、その怒りの中にどんな信念があるのかを言葉にしていく。
一つの怒りの中に、たくさんの信念があった。
ああであってはいけない。こうでなければいけない。そうあってほしい。。。。etc。
自分が兄弟と分離しているなどと思ってもいなかったことが、
実は分離が前提となって怒りや恐れが起こっていることに気づかされる。
一見複雑に絡み合っているような要因が、
分離という概念を信じていることが原因でそう見えているだけなのだ。
そしてそれは自分が作っていることに気づかされる。。!
罪を兄弟に渡して、兄弟に罪を見て、自分は無垢だと証明したい。
それはいわば私が演出家。
旦那にはこんな罪深い役をやらせて、
親にはこのような罪深い役を当てはめ、
友達にもこんな風な嫌な性格の役割をやらせ、
社会にはとんでもない罪を被せ、
そして私はか弱い、かわいそうで無垢なヒロインになる。
という子供の遊びをマジになってやっているのが私。
マジになってやっていることさえ忘れてしまった。
その前提になっているのは「私は有罪だ」という頑なな信念。
いやまいったまいった。
私もやってるやってる(笑)
恐れは、神から離れたという罪悪感から来ていることは知識では知っているが、
一足飛びにそこにはたどり着けない。
その大元の原因の手前にある、身近な恐れについての解体が
プロセスとして必要なんじゃないかと思って、
自分の中の信念を見ていく作業をしていた。
恐れは、言葉によって起こされている。
同じようなことをしている人を見てホッとした。
まだ本は三分の一ほど。
これからどうなっていくのか楽しみだ。
言葉という具象は、解体されて形なき抽象になっていく。
正直に聖霊に打ち明けているその時々に、
何もない抽象の世界を垣間見る。
その透明感は、本当に心地よい。
これもまた私のプロセスとして進み、
やがてまた変わっていくのだろう。
絵:ホタルブクロとどくだみ/和紙
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