以前は少し心がうずいた。ああ、庭掃除をしなきゃ。。。
部屋の中のものを見る。
以前は心がうずいた。部屋を綺麗にしなきゃ。。。
今は木を見る。部屋のものを見る。終わり。
形を見て、そこから展開される物語が動かないのだ。
なのに喜びが溢れてくる。
昨日役員会があった。会長が突然の辞任で緊急会議。
シリアスな状況なのに、昨日のことを思い出しても嬉しくなってくる。
町会のオヤジ一人一人が愛おしい。
何が起こってるんだ?
先日のラーメン屋事件(そこまでのことか?w)からなんか変だ。
心がカラになると、目の前のことが希薄になっていく。
形を見る。
私はこれまで形を見ると、形の中に罪を見ていた。
部屋。ああ埃が溜まっている。掃除しなきゃ。人が来る。みっともない。。。。
そうやって次々に連想ゲームのように心が動き始める。
がぜんその形は意味を持ち、物語が展開し始め、
この世界が重厚で動かしがたいものになっていった。
これが私たちがこの世界をリアルに感じている理由だ。
形に自分の罪を見ることで。
この世界は私たちの罪悪感でできているとコースはいう。
神の子である私たちは、神から離れたと信じたことで(信じただけだけど)
起こった巨大な罪の意識がこの世界を作り上げ、その中に逃げ込んだという。
心に浮かびもしないほど深く沈めた神からの分離という罪の意識。
その無意識にまで沈めたものを、少しづつ浮かび上がらせる。
一切を包み隠さない。
何をどう感じているのか、自分の内側を見てあからさまにしていく。
そういう作業が、無意識に沈み込ませた罪悪感を浮上させていく。
すべてを光のもとにさらしていくのだ。
そのたびに少しづつ心の中の罪の意識が消え始める。
そうすると心の中の声が少しづつ消え始める。
散歩してても何かが違う。
散歩しているいつもの感じじゃない。
全てに関わりがなくなっている。
これがこの名前の花で、いい香りがして。。。
といういつもの感覚が希薄になっている。
目だけが宙に浮いて移動している。
自分が変な感じになっているのに気がつく。
「私、ここにいない。。。?」
私がいないということではなく、
私はこの世界に属していないことに気がつく。
この世界は私が見たくて作り上げたものだった。
罪を見たくて。罪を外に見て、自分に罪はない!と言い張るために。
それは本当に存在するのか?
違う。目的があって作ったものだった。
罪を形になすりつけるために。罪を忘れるために。
でもそもそも罪などなかったのだ。
単なる思い込みが、この世界を宇宙まで作った。
はあ~。さすが神の子。
腐っても鯛、にはとんでもない力があるもんだ。
だけどそれはエンドレスの地獄。
お釈迦様が輪廻から離れろといったのはそういう意味だった。
木を見て、心が動かなくなったのは、
私の中の罪の意識が消え始めているからなのだろう。
その代わりに、風景とは関係なく喜びが込み上げてくる。
私は世界をある、ある、あるといって、縛り付けていた。
世界を解放しよう!
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