2022年5月24日火曜日

こんな形じゃヤダ!


形が変わってくれれば、私は安心。


どれだけその「形」にこだわってきたか。

この形じゃないといやだ!あの形になってくれないと困る!


仕事の絵、クライアントの返事、友達の反応、出費、入金、自分の体の形(ぷ)、出来事、出来事の結果、、、。


ぜんぶ形だ。


この形さえ、ああなってくれれば、ホッとする。

でそそのホッとするのもつかの間、また別の「この形じゃいやだ!」が始まる。


そうやってずっとこの世界の形を変えることにいそしんできた。

いそしんできたのよ、あたし。(いそしむ。好きだなこの響き)


実はそこじゃない。そこ目標じゃないし。そこ目指すところじゃねえし。



私は罪を探していたんだ。

罪を探して、それを解決させることばかりを。

罪を形に求めて、その形さえ変えれば、罪は消えると。


問題は全くそこじゃなかった。

その罪を感じている自分を見る。

罪を欲している自分に気がつく。


そこにこそ、問題があったのだ。




私たちはすぐ自分を否定する。

あそこもどこもかしこもダメだと。


もしくは、すぐに人を否定する。

あいつのあそこもダメだと。

(エッチな意味じゃないよ)


そうやって自分や他人を否定して裁く自分を発見する。


その時快楽を感じている自分を発見することができたらラッキーだ。

え!まじ?あたし、いい気分になってるじゃん!


人を否定する時、ちょっと勝ち誇った気分になるのはわかる。

しかし自分を否定する時、まさか自分が勝ち誇ってるとは気がつかなかった(!)



自分を罪人として見ることが、自分がここにいていいのだと思わせてくれていた。


「ああ、私はけなげな罪びとなの💙


だから問題という形を探す。

その形が解決されると、つまり罰を受けると、罪が軽減されると信じて疑わない。


それが形をひたすら変えようとする衝動。形が変わって安心する。


罪があると思っているから、こういうことを延々と続ける。

しかしもし罪というものなど、まったくなかったとしたら?


これ、ものすごいことじゃね?


檻の中で

「開けてぐでえ~~~~!ここから出してぐでえ~~~~!」

って61年間泣き叫んでいたら、


「鍵、かかってねえし。そこ、とっくに開いてるよ。


そもそも檻なんかねえし。よく見てみな」


って言われてるのだ。



ちーん。




絵/MF新書表紙イラスト











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