「とある神秘家との結婚」を読んでて思う。
自分を導いてくれる聖霊が直接語りかけてくれるっていいなあ~。
なんでも聞けるじゃん。
なんでも答えてくれるじゃん。
なんでもクリアになっちゃうじゃん。
なんでもわかっちゃうじゃん。
って思ってた。
でもこの本の著者、カースティン・バクストンさんは、
近くに生身の聖霊がいて、ジャーナリングでなんでも答えてくれる聖霊もいる。
なのになんでもわかっちゃわないじゃん!
これはどゆこと?
よく考えてみれば、「神の使者」の著者、ゲイリー・レナードも
アーテンとパーサに導いてもらってても、
自分の道は自分で切り開かなければいけなかったし、
何よりも、この彼らの本の元になっている
「奇跡のコース」の著者であるヘレン・シャックマンでさえ、
最後までこの本の声に抵抗したのだから。。。!
だから聖霊の声が聞こえてラッキー、
もうすぐ眼が醒めるわよってなことにはならないのだ!
(知らんかったの?あんた。ハイ。)
あくまでも自分なのだ。
自分が何を考え、何を信じているか、なんでこの世界を信じているのか、
どうやってそれを手放していけるか。それを自身に問われている。
その意志があるのか。その意欲があるのか。
徹底的にそれを実践していけるのかと。
だから横に虎の巻がいても、
それに聞く耳を持って実践して体験していかない限り宝の持ち腐れ。
知識で知ってても
それを実践して体験していかないかぎり
わかったことにならないってことだよねえ。
それってさあ。
私と同じ立場にいるってことだよねえ。
わたしゃ、聖霊の声は具体的に聞こえない。
だけど聖霊の声を代弁してくれる奇跡のコースの本があるし、
その関連の本も読める。
そしてそれを生きている人々の動画やブログも見られる。
それこそ、それが聖霊の声なんじゃないか?
一つの心が、この世界に現れた聖霊の表現を聞き、
殻を脱ぎ捨てながら、自由に向かって進んでいる。
おばさんよ。
大志を抱け。
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