他人に何か言われて、ドキっとしたり、動揺したり、このやろーとおもったりするのは、それが図星なのだ。
動揺するから「あのやろー、あんなこといいやがった、ゆるせねえ」となる。かくしてそのときから、その相手の事を心の中であーだこーだといいがかりをつける。相手には聞こえてないのに。
相手に聞こえてないのに、心でいいがかリをつけてもしょーがないじゃないか。効き目全くなし。しかし気がついたら、心の中で延々とやっている。
なんでや?
ようは自分が自分を納得させたいのだ。
なんでや?
動揺してるから。
なんでや?
それ、図星だったから。その図星を認めたくないのだ。
その動揺をなんとか止めたい。だからあのヤロこのヤロと言い続けて相手を罵倒し、自分は悪くない、相手が悪いのだ。あんな事言うあいつが悪いのだ、と、自分を正当化しようとしているだけだ。
でも最初の発端は、図星な事言われた、というだけなのであった。
「こっ、、、ここは人には見られてねえよなあ。バレてねえよなあ」
とひた隠しにしている事が、
「あなたはこうですよね」なんていわれて、
「ばっ、、、ばれてる!」
とあせった。もしくは、それも意識にのぼっていないくらいなんだが、なにか、こう、感情にひっかかることをいわれたのだ。
もし見当はずれな事を言われていたなら「へ?」で終わりなのだ。
だけど引っかかるっちゅうことは、そこになにかあるっちゅうことなのだ。
認めちゃえばいいのだ。ああ、私はそうなのだな。そんなところがあるな。とその部分を静かに認めればいいだけのことなのだ。
「お前に言われたくない」というプライドが自分を苦しくさせる。苦しいからそこから逃げようとする。でもどっちみち逃げ切れない。だってそれ自分だもん。相手から逃げる事じゃない。
静かに自分を見る。
言われた部分をジッと観察する。恥ずかしいけどそこから逃げない。ガマンするのはそこだけだ。その感情が震える中にとどまる。相手を罵倒しない。自分の感情だけを見る。
すると、何かがすーっとほどけてくる。なんだ、そんなに重要な事じゃなかったんだ。そうか、ここか、そういう事だったんだ。なら次から気をつけよう。そんなふうになってくる。そこには他人への非難も、自分への非難もない。
他人は、自分が傷つくためにいるんじゃない。
自分に気がつくために、他人がいるんだ。
4 件のコメント:
自分に気がつくために、他人
いいね。
きずつくと、きがつく、じゃ、
一文字だけなのに、じぇんじぇん意味違うよね。
がっつーん!
どっきゅーん!
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