2021年8月24日火曜日

安堵が湧き上がってくる


 

「はいっ!ではお仕事開始!」


と、パッと仕事モードに切り替わるはず、と長いこと思ってた。


ところがなかなか切り替わらない。

ふんむむむ~~~~と七転八倒している間に、

「ああ、私って才能ないんだわ」と落ち込む。

それでも納期が迫ってきて、

「えいやっ!」と無理やりやって終わらす。。。


そんなことを長年やってきて

「ああ。やっぱり私って能力ないんだわ。。。」

と自己嫌悪に陥ること60年!(もうええわ、そのフレーズ)


そもそもその考え自体(パッと切り替わるはず)が、間違っていたことに気がついた。





私は依頼仕事はパソコンで制作し、自分の作品は和紙を使って制作している。


例えば依頼仕事の内容が、イギリスの田舎町1920年代のミステリーの表紙だとする。

それまで日本の風景を和紙を切って貼る制作をしていた私が、

いきなり1920年代のイギリスの田舎町のイメージをし始めるのだ。


よく考えたら、パッと切り替わるわけないではないか。

それをパッと切り替わらない私は無能だとか言ってること自体がおこがましいのじゃ。



ってなことがわかって以来、じっくり時間をかけて取り組むようになった。


じと~~~っと、その世界に入っていく。

イギリス、田舎町、1920年代、人々の服装、街の雰囲気、

そこに現れてくるミステリーな匂い、、、云々。

その間、何もしていない。

はたから見たら、ボケーっと外を見ているだけだ。


とりあえずスケッチブックは机の上に出す。

だけど一本も線を引かない日もある。ただじーっとその中に浸る。

イメージがわかないときは、ググる。

散々その時代を見る。浸る。


今までは何も描けないことに無性に罪悪感を感じていたが、心の訓練のおかげで、そう自我が思わせてくる言葉に影響されないようになってきている。



和紙で制作に切り替える時もそうだ。

じーっとその世界に浸る。

緑の中に心を入れていく。その世界観の中で息をする。

ゆっくりと始める。止まる。始める。止まる。

ある時流れるように動き出す。

そうかと思うと、ふつっと、この先に進めない何かを感じ、途切れる時が来る。

そのときはやめ時。



依頼仕事、こっちは納期がある。

それでもふつっと途切れるときや一本も線が引けない時も、そのまま受け入れる。

それはどっちにしろ納品に間に合うことを経験上知っているからだ。


おかしな話だ。

全く自分の仕事に自信がないくせに、必ず終わらせられることはどこかで知っているのだから。




この頃、運命論を信じ始めている。


運命論を信じ始めると、恐ろしいことに自分の手柄が消えていくのだが(笑)。


どっちみち運命が決まっているなら、

その間に七転八倒して、そこに行き着くのがいいか、

平安でのんびりやって、そこに行き着くのがいいか。


是が非でもクライアントにオッケーを貰うために悪戦苦闘して、

あの手この手を考え尽くしてやるのか。

どっちみちオッケーが出るか出ないか決まっているなら、

抵抗せず、思いついたままにやるのがいいか。


心の疲労は前者の方が圧倒的。

だけどそれは何のためにやっている?誰のために?


苦労は買ってでもしろとか、

犠牲の上にやることの美徳とか、

楽にやったらバチが当たるとか。。


これらの声にずっとやられてきた私。

そのおかげでここまでこれたとか、うんぬんかんぬんはいくらでも言える。



でもこれまで通りの考えのままに進みたいとは思わなくなった。

必死で心労使っても、平安な心で進んでも、

結果は同じなら、私は後者を選びたい。


それに後者は、あるがままの自分を受け入れている。

前者は、あるがままを否定して、抵抗しながら行動をしている。



今の中にゆっくり浸る。


安堵が、湧き上がってくる。




絵:「夢をささやく」/和紙


2 件のコメント:

梶原 豊 さんのコメント...

そんなものに わたしはなりたい

つくし さんのコメント...


自分を許すことです。
自分をさばいている限り、人にも同じように無意識にさばきます。
それが連鎖して、ますます正しいとか間違っているというさばきの世界に入っていきます。

自分に優しくしてあげてください。