2021年8月20日金曜日

赤いピルと青いピル

 


怖い。。。

体が一瞬ちぢこまって震えた。



。。。。この恐れ。

選ばないことができるのではないか?


ふとそう思った時、恐れがサーッと引いていった。


え。。。。?


恐れって、選ばないこともできるんだ。。

この体験は、私に大きなヒントを与えてくれた。




恐れは自我の世界への誘い。

「こっちこっち~。こっちですよ~」

と、警備員さんに誘導される瞬間だ。


今までは、へいへいと導かれるままにそっちに向かっていき、不幸のズンドコに入っていった。

そして荒れ狂い、苦悩し、蟻地獄に陥り、ズタボロになって生還する。

とゆーのが今までのあたし。


その恐れを誘導する声が自我の声だと分かり始め、

「そっちを選ばない!」とやり始めた。




自我は私ではない。

なぜならその声を聞いている側だからだ。

聞いているということは、自分の外にあるもの。

今蝉の声が聞こえるけれど、聞こえるからといって私ではない。

外に聞こえようが、内側に聞こえようが、聞こえるってことは対象物。自分ではない。


見るものも、匂うものも、触覚も、味覚も同じ。五感で感じるものは私ではない。

感情も思考もそう。




自我は裁く。

他人だろうが自分だろうが、誰でもいい。とにかく裁きまくる。

裁いて何を得るかというと、この世界を維持させるため。


裁くとは攻撃。攻撃は私たちが肉体だと信じている証し。肉体は死ぬ。肉体を信じている限り、恐れはつきまとう。その恐れを充満させて、この世界にどっぷり浸ってもらい、この世界を作り続けてもらうために。



私たちは人間電池。


映画マトリックスに出てくるような、あんな大仰な装置なんかいらない。

人間の恐れさえ作り出せればいい。それでこの仮想世界が維持できる。

でも私たちはエージェント(自我)のいいなりにはならない。奴隷じゃない。


青いピルは、恐れを選ぶこと。いつも通りの奴隷の世界に戻ること。

赤いピルは、真実を見ること。つまり愛を選ぶこと。


あの映画では真実と言われるのは、得体の知れない怪物に追い回されて、なんだか最悪の世界だったが、それはほれ、映画。色々面白おかしく作るわけだ。


真実はとてつもない光と喜びに包まれている。(映画にすると面白くないでしょ?笑)




あの時私は赤いピルを選んだ。


恐れはどうしようもなく、まとわりついてくるものではなく、選び直すことができるもの。


自我の声も、「それは私じゃない」と言って、ほったらかしにもできるということ。

まともに受け入れて、その声の誘導に惑わされないことができる。



自我の声は時間を存在させる。過去と未来にばかり心を持って行かせる。


自我を選ばない時、私はそこにいる。

今この時にいる。時間が消える瞬間。



外を裁く時、自分をも確実に裁いている。

外に向けた攻撃は、内にも同時に起こす。

自分自身に攻撃を仕掛けている。

その苦痛はさらなる裁きを生む。

こうやって延々と恐れの中で誰かを裁き続ける。

それがこのエージェントの世界。




私たちはつねにどちらかを選択している。


その選択によって、

今、見えている世界は、喜びに変わる。






絵:「日本霊異記」/新書表紙イラスト
この世には恐ろしい世界が潜んでいる。。。という洗脳の走り。



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