二日間にわたって催された梅祭りが終わった。
やまんばは今年年番だったので、町会のお手伝いをさせてもらった。いつもは二日間のうち、どちらかがお天気が悪かったりしたが、今年は両方ともいいお天気に恵まれ、おおにぎわいだった。
でもそれよりもなによりも、それにかかわった人々が楽しそうにやっているのをみるのがうれしかった。
歴史をひもとくと、色んなことがあったようだ。
ここは昔からの風習や伝統が色濃く残った場所。新しく入ってきた人々との価値観の違いでもめたことなどがずいぶんあったようだ。そこへ来て圏央道の問題。賛成と反対のまっぷたつに割れた町会の人々が、同じ場所に住むことの葛藤はどれだけのものがあったろうか。
そんなことを思うと、今こうしてみんなが和気あいあいと同じ時間を共有することって、なんてすばらしいんだろ。
後片付けが終わって、クラブで反省会と称してみんなでお酒を飲む。いつもは女衆は土間にいるが、畳の部屋で上座も下座もなくみんなでいっしょにすわって飲む。やまんばはここへ来て10年がたつ。ご神事のあとの懇親会の席が好きでいつも顔を出していたが、こんな風に男も女もみんな一緒に同じ席で飲んでいるのをあまり見たことがない。
きのうはみんな盛り上がってて、なんだかすごく楽しい時間をいただいた。
夕闇が迫りクラブを閉めるころ、やまんばはまわりをうろりっとして、建物にお礼を言った。
少しあとになって気づいた。
この建物で、こんなふうにみんなが集まって飲むのは今日が最後だったんだと。
次ぎにくる町会の夏祭りは、新しい会館で行われる。
この木造平屋建ての古い古い建物は、町会のクラブとしてのその長い歴史を終える。
いったいどれくらいの人々が、ここでどんな時間を過ごしてきたんだろうか。楽しいこと、つらいこと、哀しいこと、くやしいこと、数え切れないくらいの無数の思いがしみ込んだ建物。その最後の時間を、この建物はこんな形でみんなに与えてくれたことに気づき、胸の奥にぐっときた。
最後までここで飲んでいようと、ひとり留まってるのんべのオヤジがいた。
彼はこの町会を愛してやまない人物だ。きっと無意識にこの最高の瞬間を名残おしんでいたのだ。それはこの建物に刻まれた無数の思いが、彼をとおして表現されていたのにちがいない。
すべてのものは生きている。
やまんばは最近特にそう感じる。人も木も山も空気も机も建物も、すべてが生きている。意識を持っている。一個の細胞は木になり、建物になり、そこで嗅いだ思いをその記憶の中に刻み付けていく。それは素晴らしいことだ。この建物がやがて解体され、燃えていっても、その細胞は空気になり、風になり、呼吸をする誰かのカラダの一部に変わる。クラブの記憶は誰かの一部になっていくのだ。
そんな瞬間に立ち会えたことに深い感動を覚えた。
2 件のコメント:
お疲れ様でした!!
何しろお天気でよかった」!!
そちらもお疲れさまでした!
今日も人が多そうだね〜。
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