2014年3月3日月曜日

人のためって、人に認められるため。





やまんばは、きのう風呂で一人でウケたのさ。

自分のやっていること、ぜ~~~~~んぶ、人のためにやってたってこと!

え?人のため?いーことじゃーん!

いんや、そーゆーいみでなくて、
人に認めてもらうためにやってたんだああああああああってこと!

絵を描くのも、人のため。
なんで?
お金を稼ぐため。家族のため。

だからお金を稼げないものは、仕事じゃない。
だから、純粋に絵を描いちゃいけないのだ。
なんで?
だってそれは、自分のためだけなんだもん!
だから、かきたくっても描いちゃいけないのさ。
自分のためだけに描くって行為は、傲慢で、自分勝手で、わがままな、いけないことだからさ!

なんで?
だって、それは人に認められない行為だからさ。
だから認められるためにこそ描くべきであって、認めてくれないものは描いてはいけないのさ。



やまんばが、なんだかわからんがむしょうに描こうとすると、もう一人が止めに入る。
「こらこら、そんなもの描いてどーするの?あんた、自分のために描いてちゃいけないでしょ。あんたは人に認められるために描いてんだから」
とひたすら言って来るのだ。
それでも無視して描こうとすると、
「ああ、そこそこ。そこだめ。ああ、それもだめ。ぜんぜんなってない。さいてー」
ものすごい勢いで攻撃して来るのだ。

これがどうしてこうなるのかわからなかった。すごく悩んで、いったいなんなんだ、これは!って。
それが、わたしがするすべての行為が、人に認められるためにやっていたんだ。だから自分の内側から出る行為に正当性が認められなくて、自分で自分を止めていたんだ。



でもね。みんなやってんだよ。
みい~んな、人のためにやってる。
それは人が
「あんたはここにいていいよ」
と、認めてくれるとおもってるからなんだよ。

だけどそれは延々と続く。
なぜかっちゅーと、そこに終着点はないから。
いくら100万回、
「いいんだよ、あんたはここにいていいんだよ」
っていわれよーが、だめなんだ。いくら言われても自分で自分に納得できないんだ。くるしさは消えないんだ。一瞬認めてもらって消えても、またしばらくすると、次の許可をもらいたがる。
認めて認めて、ねえ、あたしを認めて!って。

それは人にもらうことじゃないんだ。

それは、自分で、自分に
「わたしはここにいていいんだ」
と、ただここにいることを自分で認めること。

それはまったく、他力本願でなくて、勝手に出て来るもんでもなくて、意識的に能動的に自分で自分にする行為だ。
そこからすべてが始まる。これはすごく大事な行為。
自分で自分を愛することなのだ。

イエスが言った、
「自分を愛するように隣人を愛しなさい」
は、昔の人々に送った言葉だ。今はあの時代とはちがう。あの時代にはあの時代の人々にそれが必要だった。
これを今の人々への言葉に直すと、
「隣人を愛するように、自分を愛しなさい」
なのだ。
私たちは、あまりにも自分を愛せないでいる。
自分を認めるとは、自分を愛することと同じではないか?

そこから自分の人生の『本番』がはじまるんだ。
自分が、ほんとうにまったく自分自身を生きるのだ。



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