2024年7月17日水曜日

感じようそして癒されよう



恐れることはいけない。

きっと小さい時からそう教わってきたことだろう。


だから私たちは自分に感じる恐れを隠蔽する。


怒りは恐れを隠蔽するためにしょっちゅう使われる。

また理論武装するもの常套手段だ。

誰かのせいでこうなった、社会のここが悪いからこうなったんだと、

社会や誰かのせいにして、自分が恐れていることをうやむやにする。


でもいくら怒っても、誰かのせいにしても、

元にある「恐れ」は消えることはない。


恐れは、ただそれを見るためにある。



自分が今恐れを感じていることに抵抗するのではなく受け入れる。

恐れている自分と寄り添う。


「ああ、今私は恐れているんだ」と、

否定するのではなく肯定する。

その恐れをじっと感じる。


恐れは感じるためにある。

不安、心配、見捨てられる、破棄される、拒絶される、存在をなきものにされる、、

そんな思いが浮上するのを見る。


自我は「恐れを見るな!見たらお前は破壊されてしまうぞ!」と訴えてくる。

だから感じることには勇気がいる。



でもそれを感じ続けていると、

やがて神を感じることに移行し始める。


私たちは、この世界の何かによって恐れさせられていると信じている。

誰かに見捨てられる、拒絶されると信じている。


しかしその恐れの元は、神への恐れ。

神に見放される、見捨てられる、拒絶されるという思いに行き当たる。


しかし神は私たちを拒絶するだろうか。

もし拒絶するなら、それは作り上げられた神だ。

本当の神は、私たちを愛している。


拒絶したのは私たちなのだ。

私たちが神を拒絶したから、神を恐れている。

怒られるのではないか、見捨てられるのではないかと。


神は見捨てない。拒絶など考えたこともない。

ただひたすら私たちを愛している。



だから

恐れが来た時、実は私たちは神に近づいている。


恐れを正直に受け取って、感じる。


その時、その恐れは光の元に渡されて消えていく。

神の元に恐れなど存在しないから。



恐れを苦しみを悲しみを感じよう。

そして癒されよう。


そのさきに天国への入口がある。

それは神へと続く道だから。


素敵な動画がありました。


2024年11月3日,4日 in東京

ACIMティーチャーであり、

プロの歌手でもあるNeda Boinさんが来日されるそうです。

ご興味のある方は是非!






和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです





0 件のコメント: