恐れることはいけない。
きっと小さい時からそう教わってきたことだろう。
だから私たちは自分に感じる恐れを隠蔽する。
怒りは恐れを隠蔽するためにしょっちゅう使われる。
また理論武装するもの常套手段だ。
誰かのせいでこうなった、社会のここが悪いからこうなったんだと、
社会や誰かのせいにして、自分が恐れていることをうやむやにする。
でもいくら怒っても、誰かのせいにしても、
元にある「恐れ」は消えることはない。
恐れは、ただそれを見るためにある。
自分が今恐れを感じていることに抵抗するのではなく受け入れる。
恐れている自分と寄り添う。
「ああ、今私は恐れているんだ」と、
否定するのではなく肯定する。
その恐れをじっと感じる。
恐れは感じるためにある。
不安、心配、見捨てられる、破棄される、拒絶される、存在をなきものにされる、、
そんな思いが浮上するのを見る。
自我は「恐れを見るな!見たらお前は破壊されてしまうぞ!」と訴えてくる。
だから感じることには勇気がいる。
でもそれを感じ続けていると、
やがて神を感じることに移行し始める。
私たちは、この世界の何かによって恐れさせられていると信じている。
誰かに見捨てられる、拒絶されると信じている。
しかしその恐れの元は、神への恐れ。
神に見放される、見捨てられる、拒絶されるという思いに行き当たる。
しかし神は私たちを拒絶するだろうか。
もし拒絶するなら、それは作り上げられた神だ。
本当の神は、私たちを愛している。
拒絶したのは私たちなのだ。
私たちが神を拒絶したから、神を恐れている。
怒られるのではないか、見捨てられるのではないかと。
神は見捨てない。拒絶など考えたこともない。
ただひたすら私たちを愛している。
だから
恐れが来た時、実は私たちは神に近づいている。
恐れを正直に受け取って、感じる。
その時、その恐れは光の元に渡されて消えていく。
神の元に恐れなど存在しないから。
恐れを苦しみを悲しみを感じよう。
そして癒されよう。
そのさきに天国への入口がある。
それは神へと続く道だから。
素敵な動画がありました。
2024年11月3日,4日 in東京
ACIMティーチャーであり、
プロの歌手でもあるNeda Boinさんが来日されるそうです。
ご興味のある方は是非!
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