「無茶苦茶じゃないか!あれもこれも、全然違う!無茶苦茶でいいのか?なら無茶苦茶なままで出せばいいじゃないか!俺はもう知らん!」
電話の向こうで長老は怒鳴った。
町会の歴史の聞き取りをしてまとめた原稿のチェックをお願いしたが、それが彼の感想だった。
恐れていたことが起こった。
人から聞いたことがいつも正しいわけじゃない。聞けば聞くほど意見が分かれて来た。私は外から来た人間で、誰の意見が正しいのか、どれが正しいのかわからない。彼の剣幕にも私は傷ついた。
「私も人から聞いた話をまとめたものですから、正しいのかどうかわかりません。間違っているのならご立腹なのはわかります。明日伺いますので、どこがどう間違っているのか、詳しくお聞かせください」
それだけではなかった。他の長老たちからも、あることに関する対立した意見を聞くことになった。
それまで穏やかだった長老が一瞬殺気立った空気を出した。
もうここらで終わりにしたほうがいいのかもしれない。
原稿ができても、これからレイアウト作業が待っている。文字組みや写真やイラストを組み合わせての大変な作業だ。そして印刷となれば費用もかかる。でもその一番だいじな原稿で。。。いったいみんなが納得のいく原稿など作れるのだろうか。
今ならまだ間に合う。。。
いつでもやめていい覚悟で翌日長老の家を訪ねた。
畑作業の後だろうか。風呂上がりのさっぱりした顔で、上半身裸で現れた。最近倉庫の奥に見つけたという古い梅酒を出してくれる。
「昨日はちょっと言い過ぎた」
恥ずかしそうに微笑む。
「いえ。お気持ちはわかります。私も何もわからないので、教えてください」
Vネックのシャツを着ようとするが、汗で張り付いてなかなか着れない。私は手を回して彼の背中に巻きついていたシャツをほぐした。
「ありがとう」
その時、彼を昔から知っている親戚のように感じた。一瞬何かが通った。
そのあとはどこがどう違うのか冷静に話してくれ、和やかな時間が過ぎた。
この世界は結果がすべてという。
例えばこの例を挙げると、印刷物ができて結果が現れたという。
そしてその結果を、いいとか悪いとか言って評価をする。いいと言われて喜び、悪いと言われて悲しむ。
それがこの世界。
そうであるならば、今ここで町会の歴史の作業をやめてしまうことは、惨敗ということになる。挫折というべきか。
だけど私はそうは思わなくなった。
人に会い、人に聞き、質問し、意見が違い、怒られ、傷つき、考えを改め、どう見ればいいか見方を変えて行くチャンスが与えられている。
その時間が一番大切なのではないかと思い始めた。
カタチは結果ではなく、手段なのだ。
町会の歴史をまとめるという手段を通して、自分が何を信じていたのか、何を恐れているのか、その信念があるからこそ、自分が苦しみ、その信念は手放せることを知る。
それは全ての行為に言えることなのだろう。洗濯物をするという行為を通して、自分が何を信じて、何を恐れているかを認識する。
だからこの編纂を続けていこうが、ここで終わりにしようが、それは問題ではない。
この一瞬一瞬の一挙手一投足に意識を向け、自分の恐れを赦し、兄弟の恐れを赦し、受け入れられるか。
私に求められていることはそれだけだ。
カタチの向こう側にあるものだけを掴む。すると目の前のカタチにさえ、愛の反映がみえる。
カタチはどんどん優しくなっていく。
帰り、長老から畑で採ったモロヘイヤと茗荷をもらった。夜それで酢の物を作る。
ネバネバつるつるの、喜びがそこにあった。
絵「COOPけんぽ」表紙イラスト/山辺の道
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