最近むちゃくちゃ忙しい。
難問解決のためにあっちゃこっちゃに奔走する。
その間に仕事は山積み。
矛盾と理不尽が雨あられ。
いつもの私だったら、すべてのスケジュールをイメージして
「む、無理だあ~!」と半べそになっていただろう。
時間的に無理だとか、間に合わないとか浮かんでくる声を聞き流し、
「判断しません」と宣言して体が動くままにまかせる。
判断するのをやめて、聖霊に委ねていると、
ことはあっさりと進んでいく。
こういう経験を通して、
邪魔しているのは自分の思考なのだとはっきり見えてくる。
「自分で」なんとかしよう、
「自分で」解決しなければという、
自分が先に出てくると、パニックになる。
だけどその「自分でする」をやめていくのだ。
例えば理不尽な注文がきた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ~。
なに、それ!?今頃?じゃあ今まで私がやってきたことはどうなるの!?
時間の無駄だったじゃないの!」
という考えが浮かぶのが今まで。
だけどそう考えることで、荷がさらに重くなっていた。
時間はリニア式に流れていないことを頭の片隅に置いてあると、
「きっとことは進んでいくに違いない」という信頼がある。
過去を振り返るから、無駄な時間になったと思う。
でも過去はすでに終わっている。
それをひきづるから苦しくなるのだった。
今にしかいない。
その仕事は、今初めてやってきたこととして受け取ることができる。
そして今日やることだけに集中する。
全体を見渡してスケジュールを組むことなんかしない。
計画など立てない。
心と体が動くままにさせる。
「大丈夫。絶対終わるから」という信頼と、
「できなくてもいいじゃん」という自由な心。
自我の声、
「できなかったら、お前は死ぬ!死刑だ!磔だ!」
と言ってくる声もだんだん遠くになってきた。
罪悪感による恐れを手放していく訓練は、こんな世界を見せてくれるのか。
心がどんどん静かになってくる。
思考もなく形もとらえない心が、
安堵を連れてくる。
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