2022年4月3日日曜日

計画を立てない

 


最近むちゃくちゃ忙しい。

難問解決のためにあっちゃこっちゃに奔走する。

その間に仕事は山積み。

矛盾と理不尽が雨あられ。


いつもの私だったら、すべてのスケジュールをイメージして

「む、無理だあ~!」と半べそになっていただろう。



時間的に無理だとか、間に合わないとか浮かんでくる声を聞き流し、

「判断しません」と宣言して体が動くままにまかせる。


判断するのをやめて、聖霊に委ねていると、

ことはあっさりと進んでいく。


こういう経験を通して、

邪魔しているのは自分の思考なのだとはっきり見えてくる。


「自分で」なんとかしよう、

「自分で」解決しなければという、

自分が先に出てくると、パニックになる。

だけどその「自分でする」をやめていくのだ。



例えば理不尽な注文がきた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ~。

なに、それ!?今頃?じゃあ今まで私がやってきたことはどうなるの!?

時間の無駄だったじゃないの!」


という考えが浮かぶのが今まで。

だけどそう考えることで、荷がさらに重くなっていた。


時間はリニア式に流れていないことを頭の片隅に置いてあると、

「きっとことは進んでいくに違いない」という信頼がある。


過去を振り返るから、無駄な時間になったと思う。

でも過去はすでに終わっている。

それをひきづるから苦しくなるのだった。


今にしかいない。

その仕事は、今初めてやってきたこととして受け取ることができる。


そして今日やることだけに集中する。

全体を見渡してスケジュールを組むことなんかしない。

計画など立てない。

心と体が動くままにさせる。


「大丈夫。絶対終わるから」という信頼と、

「できなくてもいいじゃん」という自由な心。


自我の声、

「できなかったら、お前は死ぬ!死刑だ!磔だ!」

と言ってくる声もだんだん遠くになってきた。



罪悪感による恐れを手放していく訓練は、こんな世界を見せてくれるのか。


心がどんどん静かになってくる。


思考もなく形もとらえない心が、

安堵を連れてくる。





絵:MF新書表紙イラスト




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