ここんところ、あまり更新できない。
なんかね。
微妙な変化がおこっているんだけど、それを言葉にすると、ウソくさくなっちゃって。
でもあえて言葉にしてみると、
そうか。なんでも、これでいいんだな。
ってかんじかな?
めっちゃ、手応えないってゆうか。。。(笑)
自分の中に次々とわき起こってくる、感情や言葉。
それが自分の中から出てきたものだから、自分が考えたと思いこんで、それに乗っかって来た人生。
そののち、それに振り回されている自分に「ん?」って気がついて、それを今度は観察すると言うことをし始めた。
そうすると、あるパターンがあることに気がつく。
いつも同じ感情や言葉がわき起こっていて、それに心が動揺し、それをなんとかしとうと焦って行動するというパターンに。
それに気がつきはじめると、それを感じる自分と向かい合うことになった。
心はいつもの感じで突っ走ろうとする。
しかし観察する意識が、その突っ走りを100%にしない。どこかでブレーキをかけはじめる。
アクセルとブレーキを同時に踏んでいるかんじ。
キーキーと音をたてて、その場でバクソウする。
いや、時には、そのまま突っ走る。
そういう行ったり来たりが起こりはじめ、混乱する。動揺する。
そしてまた動揺する自分に気がついている自分、それら全部をひっくるめて、駄目だしする自分。
不快の中でもうろうとなる。
そういう時期をしばらく過ごす。
だが、じょじょになにかが変わりはじめた。
じょじょに。かすかに。ゆっくりと。
そして今は、そういう自分に、これでいいんかもしれない。。。とおもいはじめている。
生まれて来て、いっぱいいっぱい身につけて来た観念。
その観念をひとつひとつはがして行く作業は地味だ。
いや、はがしていくのではないなあ。
はがれていく、というほうがあってる。
ラフがうまいこと描けない。どうしよう。時間がない。
焦る自分。いつものように駄目だしする自分。
だが。
前の自分とはちょっと違う。
自我は、ただウソの言葉を発するだけなのだ。
事象は、勝手に起きている。
ことは勝手に進んで行く。
ことが進む過程で、あーでもない、こーでもないと言い続けるのが自我の言葉。
その言葉に乗っかって、「そうだ!時間がないのだ!」と、
そのまま鵜呑みにしておおさわぎをするのもいいし、
「あ、いつもの言葉ね」と、
気にしないで、ほっておくのもいい。
どちらでもいい。
そう思えてくる。
だって、ことは勝手に起こるだけなんだもの。
「自分」が何かしているわけじゃないんだもの。
ね?
なーんも手応えないでしょ?(笑)
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