伊藤若冲「野菜涅槃図」
大仏様と涅槃像。
日本では大仏様が座禅を組んで、手を庶民にかざした状態で凛として座っておられる。庶民はその手からでてるであろうパワーをありがたくちょうだいし拝む。
一方、南アジアの方では、あろうことか、大仏様は全身脱落系でのほほーんとしたお顔で寝っ転がっておられる。
そこでも庶民はその様子をありがたくちょうだいし拝む。
このちがいはなんなん?
なんでも、座禅系の仏様は修行中の身、ねっころがっているのは涅槃の境地、つまり悟ったあとのお姿なのだそう。
庶民を救うために修行する仏様を拝むか、涅槃の境地にいっちゃった仏様を拝むかの違いは、これ、民族的な性格があるんかもねー。
南国生まれの南国育ちのわたしとしては、お日さん西西的な、寝っころがった仏様の方が好き。。。
いや、今だからそう思えるのかもな。
それまでは探求、修行、苦悩、努力、達成。。。そういうふうに力込めてがんばってたので、仏様も修行中のお姿のほうが神々しく見えてたな。
けどこのごろ力が抜けて来ていた矢先、ある人からお聞きして、あるブログに出会った。
まさにその名の通り「涅槃の書」。
とんでもないブログだった。
教えてくれた方に、感謝感謝です!
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興味のある方は、600本あまりある無料の記事を読んでみて下さい。最近のはお金がかかるので、グーーッと下の方、最初のころのから読まれるといいかもしれません。
どこのどなた様が書かれたブログかわからないんだけど、小さいときから疑問に思っていた事が、読み進めるうちに、どんどんあきらかにされていく。
なんだあ。そういうことだったのかあ。
そういう目線でこの世を見ていくと、非二元の大御所が、口すっぱく言ってる言葉が、
「あ、これのこと?」みたいなかんじで理解しはじめる。
やっぱ、うまくいえんなあ。。
ことは勝手に起こってる。
それにアーダコーダいうから苦しい。
目の前に展開する出来事のまんま、受けとめる事にします。
無駄なテイコーはやめます。
鼻ほじって、寝っころがることにします。
絵は、大好きな伊藤若冲の「野菜涅槃図」(京都国立博物館所蔵)。
真ん中のダイコンが涅槃の境地になっている仏様。
一見ふざけた絵みたいだけど、深い。
若冲のお母様が亡くなられた直後に描かれた絵なんだとか。
しかも若冲は八百屋の店主だったとのこと。
きっとお母様はたくさんの人々に見守られて涅槃の境地に行かれたのだろう。いや。きっと若冲は、その姿に涅槃を見たのだ。
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